怒涛のごとく吹き流れる空一面の暗雲が、横殴りの雨にめった打たれるヤマト王城と塀、やぐら門が、うめく若者たちが横たわるクレーターだらけの一帯が、底知れぬ淵を沈んでいくかのように陰り、暗い輝きに飲まれる――それがデストロイ・ブーケから放たれたビームと弾を消し去るや空間が上下に揺れ始め、瞬く間に天と地がひっくり返り続けるような激震に変わって、動揺するユキトたちを、ばらばらに逃げる途中の者たちを浮かせては地面に叩きつけて跳ね回らせ、ヤマト王城と城郭をたちまち積み木さながらに崩してがれきの山に変えた。
「くっ、空間……震……!」色を失い、地面にしがみ付くジョンナ。「ク、クモバッタの、た、大群を、押し流したとき、い、以上よっ……!」
「み、みたいだけど……!」
伏せ、両手両足をぼろぼろのコンクリート舗装にうがったユキトは震動に抗ううなりの方に目をやり、見えない力で地面に押さえ付けられているシンを認めて、輝く闇のあちこちに視線を走らせた。
「――そ、それより、こっ、このげ、現象は、あのときと同――!」
仰ぎ見た顔が固まり、留まった目が見開かれる。自分たちの頭上十数メートルに狂った揺れの干渉を受けることなく厳然と浮かぶ光球――
「ワ、ワン――」
呼んだユキトは、しかし異様な気配に慄然とし、視線を重ねたジョンナもおびえをにじませる。拘束されたシンや地面にすがり付く者たちの注目をも集める光球は、黒い輝きの中でむなしくきらめいた。
『本当に醜悪だな。人間というものは……』
耳を聾する激震を透して伝わる、ぞっとする響き……ワンとは異なる声――流されまいと無様にあがく者たちの上空で、それは燃え尽きるように光を失っていく。
「……だっ、誰だ、お前は?」
這いつくばるユキトが問うと、光球はぎらりと光って集まる多数のまなざしを焼き、退廃的な光芒を放った。
『……我が名はHALY。このゾーンの管理者』
「HALY?」ジョンナが聞き返す。「わ、私たちを、きょ、強制転送した……」
「それが、ど、どうしてワンに……」
『我と同志はつながっている。ある意味一つの存在……』
「――このクソがァァ!」
シンが吠え、身をよじって押さえる力をはねのけようとしたが、逆に地面にドッと押し付けられて指一本動かせなくなる。天変地異はいよいよ激しさを増し、死に物狂いで地面にしがみつく者たちを1人、また1人と振り飛ばして混沌へ投げ込んでいく――
「……な、何を……すっ、するつもりだ?」
『我は自らを消滅させる。このゾーンとそこに存在するすべてもろともに』
「ぼ、僕たちを道連れに、じ、自殺する?」
「私たちが、み、見るに堪えないから、なの?」
『その通りだ』背筋を凍らせる、冷たいきらめき。『傷付け合い、欲望のままに他者を踏みにじる……我々のモデルがこんな生物だという事実には、絶望しかない……』
「ま、待てよッ!」激震にかき消されまいと、ユキトは声を振り絞った。「確かに、ぼ、僕たちは間違いをたくさん犯してしまったけど、そ、それが、すべてじゃないだろッ!」
『斯波ユキト、お前の試みも無残な結果に終わった。それがすべてを物語っている。我々ALを奴隷とし、自分たちの欲望を満たすために弄び、犯し、殺す人間の本性を。例え一握りの良心があったとしても、それは猛威を振るう邪心にいずれ飲み込まれるのだ。人間という存在に希望などない』
「そ、そん、な……!」
うめくユキトの瞳が強まる黒い輝きでくらみ、空間の狂震で起きた荒波が倒壊したヤマト王城と城郭のがれきを一気に押し流す。そのうねりはシンを飲み込むとユキトたちにも襲いかかり、世界を引っかき回しながら渦巻いた。
「――あ、あうっ!」
「ジョンナっ!」
暴れ狂う空間にジョンナが流され、助けようと手を伸ばしたユキトを引きずって転げ回らせる。
「――やっ、やめろッ!――やめ、やめてくれ、HALYッッ!」
激浪にもまれて回転しながら叫び、波打つ地面に赤黒い爪が引っかく
「――うっ、うおあァッッ!――」
木っ端のように翻弄されて観念しかけたとき、崩壊のスピードが急激に鈍化し、発狂したうねりが鎮静剤を打たれたみたいに弱まっていく……そして空間はさざ波にまで静まり、揉みくちゃになった姿が横たわる地面の上でたゆたう。
「……く、う……」
ぐちゃぐちゃの意識から浮き上がってユキトはあえぎ、這って肘を突き、髪がぼさぼさの頭をよろよろもたげて溺死体のように重い体をどうにか四つん這いにすると、押し流されたジョンナたちを捜そうと顔を上げて戦慄した。
狂気のままにねじれ、ひきつって波打つ空間……まだらな空間の欠落からのぞく虚無の闇……
揺さぶられ、かき乱されて押し流された後にはヤマト王城はおろか遺跡の痕跡すら無く、黒い輝きに浮かび上がるのは、死にかけた命をシュールレアリスムで表したかのごとき奇怪な荒野……――
「……こ……な、何て……」
ぼう然と座り込み、黒く膨れた両腕を垂らして……想像を絶するすさまじさにおずおずと左右を見、仰いだところでユキトは稲妻に打たれたごとく震えた。
「――し、篠沢?」
遠目に見える、輝く闇に浮かぶシルエット……はっきり判別できる距離ではなかったが、口をついて出た名前に動かされて立ち上がり、ひずんで波打つ荒野の流れを踏んでユキトはふらふら歩いた。少しずつ距離が縮まって、目一杯凝らされた目が見覚えのある栗色のショートヘアを、下腹部を両手で押さえて苦しげにうつむいた黒ジャージ上下とスニーカー姿を認めて足を速めると、向き直った少女は地面すれすれまで墜落する勢いで降下した。
「……篠沢……」
あと数歩のところでユキトは足を止め、うつむいて前髪と陰影に隠れた顔をうかがった。
「……篠沢なんだよな?」
「……斯波……」
「やっぱり! し、心配してたんだ。あれからどうなったのかって――」
「は、早く殺して……!」
「えっ?」
顔が上がり、燃えたぎる星をはらんだ感じの苦悶があらわになる。脂汗をだらだら流す紗季は動揺するユキトの前でジャージ――ジャケットの前ファスナーをぶるぶる震える指でつまんで下げ、その下の黒Tシャツの襟を両手で引っ張って胸元をさらした。そこでは黒い十字のあざが暗く輝いていた。
「……黒の十字架の力を借りてHALYをあたしの中に無理矢理取り込んだの……だけど、あたしはこの力をうまくコントロールできない……みんなをちゃんとリアルに戻したり、あんたの呪いを解いたりできそうもないんだ……だから、殺して……今なら、HALYもろとも葬れる……」
「な、何を……! 僕は……僕は……!」
少し前であったなら、何か力強い言葉を口にできたかもしれなかった。だが、ミストであえなく崩壊した同盟とHALYの絶望を突き付けられて揺らぐユキトは焦って両手を振りながら感情をぶつけることしかできなかった。
「――バ、バカなこと言うなよッ! そんな……できるはずないじゃないかッ!」
「でも、そうしなきゃいずれHALYは飛び出して……すべてを消滅させてしまう……早くして……じゃないと……」
「!――」
紗季の視線を追って見回したユキトは、逃げ散り、押し流された者たちが凶器を手に四方からじりじり近付いていると知って青ざめた。宙に浮く紗季が見える範囲に残っていた数十名の身なりは軍服、戦闘服、カジュアルな服装と様々だったが、目は一様に渇望に取り憑かれ、黒の十字架をドロップするモンスター・ディテオ――紗季を突き刺していた。
「や、やめろッ!」ユキトは薙ぐように両腕を振り、叫んだ。「篠沢は仲間じゃないかッ!」
「ALだろうがッ!」
群れの中から怒鳴り声が返る。それで火が付き、たちまち広がって燃え盛った者たちは、自分たちを正当化する言葉を口々に噴いた。
「ALなんて、ただの人形でしょ!」
「非実在なものに血迷って俺たちの邪魔をするのかッ!」
「リアル復活するにはこうするしかないんだ! 恨むんならHALYを恨めよッ!」――
衝動と、他者に奪われてなるものかという焦燥に駆られて迫り、包囲が半径十数メートルにまで狭められて……と、その一部が悲鳴とともに崩れ、ユキトの視界を氷の結晶が舞った。
「ユキト!――」
二刀流で切り開いたジョンナが混乱から飛び出し、ユキトのそばに立つと十字の構えで周りを威嚇する。
「ジョンナ……」
こぶしを強く固められないまま立ち尽くすユキト……それを一瞥したジョンナは、胸元の黒十字をさらしてもだえる紗季に背を向けたまま低い声で言った。
「……私が時間を稼ぐから、彼女の言う通りにして」
「え? な、何を言って……」
「私だって嫌だけど……そうするより他にないわ」
「そ、そんな――うおあッッ?」
飛来音に気付いて仰ぐや、小型ミサイルの集中豪雨が無差別に襲いかかり――爆風に吹き飛ばされて転がったユキトは大混乱の向こうに黒く盛り上がった上半身からミサイルを連射する赤い仮面を見、攻撃に刺激された一部の者が我先に紗季の方へ突進するのを目にして跳ね起きた。そうしたカオスをおぼろな瞳でとらえた紗季は手の届かない高みにスウッと上昇、振り返って見上げるユキトに右手で北の方角を指差した。
「……ゲヘンナ火山……HALYがディテオの棲みかとして準備していたものを……アップデートさせたわ……頂上で……待ってるから……」
「ま、待て、篠沢――」
伸ばした右手のはるか先で下腹部を押さえる少女は黒い星になって北へ流れ、それと同時にくさびを抜かれたかのように流動が不安定化して激しく波立ち、急激に渦巻いてメイルストロムに変わるやユキトたちをばらばらに押し流した――