REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©永都由崇

Mov.53 夜明けの決意(1)

 カラーフロアの床から離れた足にパッとスニーカーを履いて土間に下り、ドアを開けて外に出たユキトは閉まらないように押さえながら脇にどいた。数秒後、その前を両手でトレイをしっかり持つエリーが通り、日没間も無い蒼い砂漠にドームを描くだいだい色の明かりへ夕食を運ぶ。並んだ2軒のプレハブハウスに見守られる光源では、エネルギーゲージが表示された焚き火台がささやかな炎でテーブル付きアウトドア用イスにもたれて座るポロシャツ、チノパン姿の新田をぼんやり照らし、近付くエリーの褐色の肌、着ているカーディガンやガウチョパンツを落ち着いた色合いに染めていた。

 

「お夕食ですよ、新田さん」

 

 前に立ってエリーは柔らかに言い、トレイをテーブルにそっと置いた。

 

「――今日は斯波さんが手伝ってくれたから、いつもよりおいしくできたと思います」

 

 新田の左横に立ったユキトがはにかみ、グレーの袖の先でごつごつ膨れた黒い手がこそばゆそうに動く。エリーは近くにあった自分のイスを運んで新田の右横、少し斜めに置くと腰をかけ、暖かな光を宿した瞳をのぞいた。

 

「おかずは焼き鮭にほうれんそうと大根のサラダ、おみそ汁の具はお豆腐とワカメ、飲み物はホットのお茶です。夜の砂漠は、ちょっとひんやりしますから。ご飯はお代わりもありますよ。じゃ、食べましょうか。まずは喉を潤すためにお茶から行きますね」

 

 取っ手を持って、カップを口元に運ぶ……それを研修生のような面持ちでじっと見つめるユキト。傾けられたカップからお茶が半開きの唇に流れ込んで喉を鳴らし、続いて箸でほぐされ、小骨を取り除かれた鮭を一切れ乗せたご飯が一口、声かけの後に唇に触れ、開いた口の中に入って咀嚼される。

 

「……上手だね、エリー」

「そんな……」

 

 ご飯茶碗と箸を持つエリーは恥じらい、素朴な目を伏せて瞬いた。

 

「……まだおばあちゃんが家にいた頃、お母さんがやっているのを見て自然に覚えたんです」

「お母さん、介護の仕事をしているんだってね。よかったら僕にも教えてくれないかな?」

「えっ、斯波さんに?」

「僕にも世話させて欲しいんだ。そうすれば、エリーも少し楽になるだろ?」

「……分かりました。じゃ……」

 

 茶碗と箸をトレイに置いてエリーは立ち、代わりに座らせた。

 

「それじゃ、サラダをお願いします。まずはご飯が口の中に残っていないか、ちゃんと飲み込んだかどうか確かめて、それから次に何を食べるのか説明するんです。食べることをしっかり意識してもらうためにも声かけは大事なんですよ。そうしたら一口としてちょうどいい量を口に運んで下さい。このときも忘れず声をかけて下さいね」

「う、うん」

 

 そばからのてきぱきとした指示――イスに残るぬくもりをスウェットパンツ越しに感じながらユキトはサラダが入った小鉢を左手で持ち、黒く腫れた指で箸を使ってほうれん草をつまむと新田の口にそろそろと近付けた。

 

「新田さん、サラダです……ほうれん草ですよ」

 

 唇が開き、緊張した介助を受け入れる。ほっとして肩の力を抜くユキトと微笑むエリー。

 

「……ちゃんと生きているんだよな、新田さん……」

 

 あごを動かす新田を見ながら言うと、横でエリーがうなずく。

 

「そうですよ。新田さんのアストラル――魂はこうしてちゃんと生きている……だから、奥さんと赤ちゃんが待っているリアルに帰ってもらいたいんです」

「……それは僕も同じ気持ちさ。だけど……」

 

 黙り込むとエリーはまどろみから覚めたようにまぶたを上げ、力無くまつ毛を上下させながら内向きのスニーカーの先に目を落とした。沈黙が炎色の揺らめきから深まる宵闇に広がり、かさついた二つの唇が閉じたまま癒着していく……他者と断絶していたがゆえにユキトから初めて紗季の真実を聞かされたエリーは星一つ見えない夜空の下で途方に暮れ、視線を砂上でもがかせた。

 

「……救助、来てくれないですかね? ワールド・ポリスがこのゾーンを発見して……」

「ワンによると、僕たちは事件もろとも葬り去られようとしているらしい……実際、リアルTVをチェックしても事件のことは報道されなくなっているし……」

「それじゃ、HALYにリクエストを送って……ダメですよね……」

「……HALYは人間を研究するために僕たちをさらったんだ。大事な研究対象を簡単に手放しはしないよ……」

「そう、ですよね……」

 

 再び、沈黙。

 エリーの両手指が鎖のように絡み、グレーの太ももの上に箸と小鉢を持つ手を下ろしたユキトが歯をかみ締めると、それぞれのコネクトが無遠慮に着信を知らせ、開かれたウインドウに新着メッセージが表示される。

 

「……また勧誘か……〈ヤマト護魂ごこん戦線〉?……」

「矢萩リーダーを倒すために協力して欲しいって……ヤマトから分離した人たちみたいですね」

「あちこちからのメッセージでも言われてるけど、あいつ、重税を課して巨大な城を建てたり贅沢三昧したりやりたい放題らしいからな。今や公然と出回っているSOMAは、あいつが製造させているって話だし……これまでに何人もヤマトから逃げ出したみたいだけど、ついに反乱が起きたのか……」

「……どんどん、ばらばらになりますね……」

 

 焚き火台で薪が爆ぜて炎が身震いし、陰影が不安げに揺れる。混迷の度を深める現実に、ユキトとエリーはうつろな新田の前でそれぞれの足元を這う空間の流れに目を凝らした。

 

「……どうすれば……いいんだ……?」

 

 足にまとわりつく影をにらんでつぶやき、ユキトは下唇をかんで前歯を食い込ませた。