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REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©永都由崇

(7)

(――!)

 

 シグルは足を止めた。視線の先に影があった。口から蒸気を噴き出して急斜面に立つ、頭から角を生やした黒い獣――

 

「シグル、か……!」

 

 殺気みなぎる声が飛び、猛吹雪からオージュが現れる。それに続いてフルーたちも姿を現し、シグルは左右に広がった10頭と対峙する形になった。雪嵐にあおられたように血走った目が並ぶ中、戦慄を覚えるほど切れ上がって見開かれたオージュの目が、異様にらんらんとしていた。

 

「シグル、オオカミのガキはどこだ?」

 

 居丈高に問うオージュに、シグルは口をぎゅっと結んで急勾配の下にいる相手をにらみつけた。その態度に横からフルーが、

 

「シグル! オージュさんが聞いているんだ! ちゃんと答えろぉ!」

 

 と、怒鳴ったが、シグルはそれを無視し、吠えたて、吹き飛ばそうとする猛吹雪に逆らって四肢を踏ん張らせた。

 

「……まあ、いい。近くから確かに臭っているんだ。話す気が無いのなら探し出すまでだ」

「待て、オージュッ!」

 

 落雷のような声が響いて場が一気に緊迫し、シグルとオージュの視線が熾烈にせめぎ合う。

 

「シグル、なぜあのガキをかばう? オオカミは俺たちの天敵。それに情けをかけてやる必要などないし、万が一生き延びたら、いつか必ずシカが食われることになるんだぞ!」

「俺は……」

 

 シグルは目をそらさず、懸命に言葉を探した。

 

「――……俺は、両親を殺したオオカミが憎い。シカを餌としか考えない奴らが許せない。だが、憎しみのままに復讐することが正しいのかどうか、今は分からない……オオカミにも、あの子にも母親がいて、父親がいて、愛があった……それを守るため、生きるために俺たちのような動物を食べる必要があったんだ。その現実を、もっと考えるべきじゃないかと思うんだ。殺し合いをする前に……」

「ふははははははははッッ!」

 

 嘲笑すると、オージュは横を見た。

 

「――フルー、お前はどう思う? つまりはオオカミたちの事情も酌んでやれということらしいが?」

「冗談じゃないですよぉ!」

 

 フルーは大げさに顔をしかめて、

 

「――何で俺たちがそんなことしなきゃいけないんだぁ? 奴らは敵で、かたきなんだ! 邪悪なけだものなんだよぉ! 仲間をたくさん殺され、自分の親まで食われているくせにさぁ! 頭がおかしくなったんじゃないかぁ?」

 

 と、まくし立てた。周りがそれぞれ、そうだ、その通りだ、冗談じゃない、などと口々にわめくのを聞きながら、オージュは歯をむき出しにして薄汚く笑った。

 

「いかれちまったな、シグル。あのガキの泣き言にほだされて、よォ!」

「違う! そんなんじゃない! 俺は――」

「黙れよッ!」

 

 はねつけたオージュが鉤爪かぎづめを思わせる角を構え、フルーたちも連鎖的に頭の武器をシグルに向ける。

 

「やめろッ! 俺は争いたくないッ!」

「うるさいッ! 貴様のような裏切り者は、オオカミのガキもろとも殺してやる! 何で貴様のような奴にマルテはァ――!」

 

 爆発さながらに足元の雪を飛び散らせてオージュが飛び、凶器が猛然と繰り出される。

 

「――くうッ!」

 

 反射的に横へ飛んだもののかわし切れず、角に切られたシグルの右横腹から血がにじんで赤褐色の毛を濡らす。

 

「――お前たちもかかれッ! オオカミのガキをかばうこいつも敵だ! やれッ!」

「やめろッ! やめてくれッ!」

 

 シグルの制止もむなしく、子オオカミ殺しに血をたぎらせていた雄たちは、凶暴な吹雪に取り込まれたかのように次々襲いかかった。著しく傾いた雪の上で角と角が激突し、突き合って火花を散らす。さすがに英雄と称えられるシグルの戦いぶりは獅子にも引けを取らなかったが、10対1という数の差が拮抗していた戦況を次第に傾かせる。

 

「――うぐッ!」

 

 左のももに激痛がズグッと響く。振り返りざま、突いていた雄を角で打ち払うと、シグルは背後から突っ込んできた別の雄を後ろ足で蹴り上げた。見事あごをとらえた一撃で骨が砕ける音を出したその雄は、口から唾液と混じった鮮血を飛ばしながら悲鳴を上げて急斜面を転がり落ちた。

 

「――シグルぅッッ――!」

 

 吠えるオージュに角で応戦し、めちゃめちゃにかき乱された雪を蹴ってシグルは幾度もぶつかり合った。

 

「――やめろッ! こんなことをして何になる? あの子を殺し、オオカミと殺し合うことに何の意味があるんだ?」

「ふざけたことをッ! オオカミ殺しをした貴様が言うことかァッ!」

 

 ――ベキィッ!

 

 太く頑丈な枝がへし折れるのに似た音がして、シグルの目が赤く染まった。左の角が根元から折れて地面に落ち、オージュの角による額の傷から血があふれて流れ込んでいた。

 

(――角が!)

 

 オオカミたちとの死闘をも経てきた角は、知らず知らずのうちにダメージを蓄積させていたのだ。頭が割れるような痛みにうめいた刹那、シグルの胸に衝撃が突き刺さる。

 

「……あぐっ……あ……!」

 

 胸を赤く染め、よろめきながら後ずさるシグルの前に、角の先を血で汚したオージュが立つ。

 

「ここまでだな、シグル……!」

 

 いびつな笑みをともに恐ろしいほどむかれて燃えるオージュの目は、この世に生きるもののそれとはとても思えず、いったい何が見えているのか、シグルには想像もつかなかった。

 

「――シィィグゥルゥゥゥッッ――――――――――――!」

 

 狂気の叫びを発して飛ぶオージュに集中したそのとき、右の腰に衝撃が加わって体勢がガクッと崩れた。隙を突いたフルーが、角で右腰から脇腹にかけて突いていた。

 

「きひひひひひひ……」

 

 もっと深く突こうと力をかけながら、しわを醜く寄せて上目遣いに笑うフルーに吐き気がこみ上げたシグルは、ばねさながらの動きで一気に立て直すや体をひねって両後ろ足のひづめを醜悪な顔面に叩き込んだ。

 

「――べへェ……!」

 

 ぐしゃぐしゃに砕けた顔から不気味な断末魔を発し、フルーは血をまき散らして雪上に倒れた。しかしそのとき、シグルの右脇腹に汚れた角が深く突き刺さり、肉をえぐっていた。

 

「お、ぐっ……!」

 

 右脇腹からどくどくあふれ出す血がオージュの角を伝い、滴が猛吹雪に散る。踏み込んで角が深く食い込む様を、討伐隊の雄たちは熱狂した目で見入っていた。

 

「……オージュ――ッ!」

 

 突き刺さった角に押されて横倒しになったシグルは、前足でオージュを蹴ってはねのけ、すぐさま立ち上がったものの、右脇腹からどっと噴き出す血に赤い視界を霞まされてふらついた。

 

「バカな奴だ」

 

 オージュの嘲弄が耳を打つ。

 

「――オオカミのガキなんぞをかばうから、こんなことになるんだ。あのガキもすぐに後を追わせてやるから心配するな」

「……そんなことは……!」

 

 四肢を雪に穿って体を支え、まぶたをかっとこじ開けたシグルは、残った右の角をオージュに向けた。

 

「往生際が悪いな……!」

 

 吐き捨て、血で汚れた角を構えるオージュをにらみ、シグルは薄れていく意識の中から問いかけた。

 

 ――俺は、間違っていたのか?――

 ――天敵であるオオカミの子どもに情けをかけるなんて、正気の沙汰さたではなかったのか?――

 ――なら、オージュたちのように憎しみに身を任せていれば良かったのか?――

 

 ……違う……

 ……それは違う……!

 

 ……オオカミとシカがいて、そこに憎しみと悲しみしかない……そんな世界は狂っている……!

 

「――俺は……!」

 

 シグルは残った力を振り絞り、全身全霊を込めて狙いを定めた。

 

「……俺は、まだ諦めていないッッ――!」

 

 とどろく叫びが、一条の閃光となって猛吹雪を貫いた。