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REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©永都由崇

(6)

 闇に埋もれた針葉樹林を揺さぶって、夜が雪とともに飛んでいく。巨躯が冷え切って重くなったシグルの頭上で雪雲の層が黒から蒼に変わり始め、寝ずの番をする見張り役たちのあくびが風のうなりに混じって聞こえた。

 やがて未明を迎えた林の中央で、シカたちが雪を踏んでせわしなく動き出す。そちらに焦点を合わせるシグルの目は立ち並ぶシルエットの狭間に小虫ほどの影の群れをとらえ、ぴんとした耳は、出発の準備を整えた討伐隊とそれを送り出す者たちとの、使命をしっかり果たすとか、無事に戻って来るようにとかいったやり取りを、雪嵐にずたずたにされながらどうにか聞き取った。

 

(……いよいよ……か……)

 

 討伐隊が子オオカミを殺しに出かける、そのときが来たのだ。見張りたちもその動きを気にし、緊張した声で、どうなるだろう、うまくいけばいいがと言葉を交わしている。すると、群れの中心にいる一群――討伐隊の中で影が一つのけぞり、獣性に満ちた雄叫びがとどろいた。

 

(――オージュ!……)

 

 弱った子どもではあるが、初めてのオオカミ殺し――その興奮が他の雄たちからも上がる。そうして病的に高ぶった討伐隊は、仲間に見送られながら山へと歩き、猛吹雪を遡る。重く覆いかぶさる青黒い雲から激しく降りつける雪と、槍衾やりぶすまのような針葉樹林の中を進んでのぼって行く影の群れをシグルは目で追い、暴風に混じるザクッ、ザクッ……というひづめの音を聞き続けた。

 

 ――……これでいい……のか……?

 

 足音が遠ざかっていくにつれ、鼓動がいやに痛く打つ。オオカミへの復讐に生き、親オオカミに続いてあの子オオカミも殺そうとした――今だって、誰かが殺すべきだと思っている。だから、煩悶することなど何も無いはず――なのに、なぜかますます胸は苦しく、動悸はひどくなっていく。

 

 ――私たちと同じように両親がいて、育まれている生き物なんだって……――

 

 マルテの声が突然よみがえり、電流を浴びたように全身を硬直させたシグルは、目を皿にして見送りの中を捜した。だが、いくら前のめりになって目を見開き、耳を澄ましても彼女を見つけることはできなかった。

 

(……オオカミは天敵……あの子オオカミも万が一生き延びたら、必ずシカを襲う……だから、殺した方がいい……いや、殺すべきなんだ……殺すべきなんだッ!……)

 

 頑なに歯をかみ締め、シグルは擦り込もうと躍起になった。だが、心臓はいっそうけたたましく鳴り、どんどん胸がえぐり取られていくような錯覚に襲われて、赤褐色の体躯がぶるぶるけいれんし始めた。

 

(――な、何だ、どっ、どうしたっていうんだ?)

 

 遠のいているはずなのに、耳の奥でひづめの音がいつまでも続き、復讐に取り憑かれた鳴き声がこだまする。

 

(――どうして? どうしてだ? どうしてなんだッッ?―――――――――)

 

 急激に高まる苦悶が頂点に達したとき、シグルは咆哮を暴発させて飛び出し、仰天して追おうとする見張りたちをたちまち引き離すと斜面をごおっと駆け上がった。山頂から吹き荒れる風雪に逆らって雪しぶきを上げ、行く手を塞ぐ針葉樹の間を駆け抜けて、討伐隊よりも先に横穴に着けるよう急斜面も構わず、誰よりも山に入って詳しい自分が知る近道をひた走る。

 

(――俺は、いったい何をしようとしている? なぜ、あいつのところに走っているんだッ?)

 

 猛吹雪に灼熱のあえぎを叩き付け、シグルは自問自答した。なぜシカがいて、オオカミがいるのか――その答えを出すことも知ることもできないシグルは、ただ、このままオージュたちに子オオカミを惨殺させてはいけないという啓示めいた考えに駆られ、満足に目を開けていられない世界を全速力で突き進んだ。

 

(――あ、あった!)

 

 いつしか、雪にほとんど埋もれた横穴が目の前にあった。討伐隊の気配はまだ近くに無い。突っ込まんばかりに近付いたシグルは、出入り口を塞いだ雪を鼻で突き崩して払いのけ、奥で横たわっている子オオカミを見つけると、唾を飛ばして大声をぶち込んだ。

 

「――おいッ! 起きろッ! もうじきここに雄シカの集団が来る! お前を殺しに来るんだぞッ! おいッッ!」

 

 狭い薄闇を激動させる声――それは病と空腹で生気を失いつつあった子オオカミのまぶたをのろのろ上げさせ、穴をのぞくかたきの顔をとらえて憎しみを鈍くひらめかせた。

 

「――早く出て来い! 出て来て逃げるんだッ! 早くしろッ!」

「……」

 

 焦り、急かされる子オオカミは胡散臭げにしわを寄せ、牙をむいてじりじりと間合いを詰めた。

 

「……何で、そんなことを教えるんだ……!」

「何で……――」

 

 なぜオオカミを、この子を助けようとするのか、シグルは言葉にできなかった。もしかするとオージュになじられたように、一時の感傷に惑わされているだけなのかもしれない。それでもシグルは突き動かされるまま、穴の中に危険を重ねて訴えようとした。

 

(――ッ!)

 

 雪を踏む足音の連なりが、吹雪の猛り越しに微かに聞こえる。追い越してきた討伐隊が足早にまっすぐ迫って来る気配――山頂から吹き下りてくる風雪は、穴から漏れ出る子オオカミ、そしてシグルのにおいを撒き散らし、下からのぼってくるオージュたちに嗅がせているに違いなかった。

 

「――くッ!」

 

 もはや一刻の猶予もない――シグルは前足を曲げて腹を斜面に近付けるや横穴に頭を突っ込み、角とこすれて崩れ落ちる土をかぶりながら子オオカミの前足をかんだ。

 

「――ぎゃ、な、なッ!」

 

 仰天した子オオカミが鼻にかみ付く。その痛みをこらえ、強引に穴から引きずり出したシグルは、転げ落ちて雪まみれになった幼子を怒鳴りつけた。

 

「あの足音が聞こえるだろ! 分かったなら、さっさと逃げろッ!」

「……!」

 

 小さな両目がひらめき、いぶかしげだった顔色が変わる。吹雪を遡って迫るたくさんのひづめの音をとらえた子オオカミはおびえを浮かべ、山がぐっと身を起こしたような斜面をのぼって山奥に逃げようと慌てた。しかし、衰弱した幼い体は無慈悲な吹雪に阻まれ、今にも吹き飛ばされて麓まで転がり落ちそうだった。

 

「――ええぃッ!」

 

 業を煮やしたシグルは子オオカミにずんずん近付き、首にかみ付いて持ち上げようとした。

 

「なっ、何をするんだ?」

「生き延びたかったら、じっとしていろッ!」

 

 一喝しておとなしくさせると、シグルは子オオカミをくわえ上げて急斜面をのぼり、雪深い山奥に分け入った。

 

(……どこまで行ける?――)

 

 討伐隊から逃げるとなると、いただきに向かう形にならざるを得ない。それは猛威を振るう吹雪に逆らうこと、風上へ進むことであり、その結果、風下のオージュたちに自分たちのにおいを道しるべとして撒くことになってしまう。

 

(……オージュたちが諦めるまで逃げ続けるか、いっそのこと、北の方にいるらしいオオカミたちのところまで連れて行くか――)

 

 仲間と合流できれば病と飢えもどうにかしてもらえるだろう――そう考えてひたすら山をのぼるシグルだったが、追手は冷酷に距離を縮めていた。

 

(――くそッ!……)

 

 子どもとはいえ、子オオカミは結構重い。それを運ぶシグルは、不慣れもあって口と首にかかる重みに、くわえていることで少なからず妨げられる呼吸に苦しんで足取りを乱した。それをあざ笑うかのように接近する討伐隊。この辺りには他にオオカミがいないから、彼等はいつまでも追って来るのだ。

 

(――くッ!)

 

 シグルはついあごに力を入れ、首をくわえられている子オオカミが悲鳴を上げる。はっとしてあごを緩めたシグルは、耳に神経を集中させて討伐隊の位置を探った。ごうごうと荒れ狂う吹雪に導かれるひづめの音は、すぐ近くまで押し寄せていた。

 

 ――逃げ切れない――

 

 シグルは目に付いた大木の陰に急いで回り込み、子オオカミを下ろすと追手が迫る方を稲妻のごとく一瞥して、

 

「……お前は、ここに隠れていろ」

 

 と言った。

 

「……どうして、僕を助けるんだ?」

 

 不可解と敵意で混濁した問いに、シグルはまたも口ごもった。まだはっきりと説明できない、自分の言動――

 

「……分からない。ただ俺は、こんなやり方を受け入れられない……いや、こんな現実に納得できないと言った方がいいのかもしれない……」

 

 怪訝に見上げる子オオカミに言い残し、シグルは単身風下――討伐隊が遡って来る方へ駆け下りた。暴れ狂い、吠えまくる白い闇が世界を支配して、数歩先さえもまともに見えない。吹雪の咆哮の只中で足音を確かめ、突き飛ばされながら走るシグルには、討伐隊が自分の方に引き寄せられて来るのが分かった。