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REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©永都由崇

(5)

 吹雪で濁った麓――分厚いねずみ色の雲のはるか下、林が少し開けた場所で開かれた集会では、長老、その右隣に鼻高々と立つオージュ、卑しげな笑みをたたえたフルーを始めとする雄たちに囲まれたシグルが、ぶつかるとげとげしい雪から目を伏せ、口からかすれた息を漏らしていた。

 

「ふむ……」

 

 事のあらましを聞かされた長老は、信じられないという顔で自分の正面、輪の真ん中で立ち尽くすシグルをまじまじと見つめた。

 

「……オオカミの子を殺さずに放置し、しかもその存在を隠していたというのは本当なのか?」

「……」

「どうなのだ、シグル……!」

 

 問いただす長老に、シグルはうつむいたまま、

 

「……はい……」

 

 と消え入るような声で答えた。それをきっかけに輪がざわめいて揺れ、問い詰め、責め立てる声が興奮して飛び跳ねる。

 

「静かに! 静かにせんか!」

 

 長老は肉が落ちた前足で雪を繰り返し踏み、しわがれ声を振り絞ってどうにか場を静めると、シグルを厳しく見据えた。

 

「子どもだろうとオオカミはオオカミ。憎むべき敵だ。そうではないのか?」

「……俺は……」

「何だ?」

 

 たるんだ目元のしわが深まり、瞳に映ったシグルの姿がまぶたに圧迫される。

 

「――子どもだから、弱っているから、かわいそうでできなかった、か? それともかたきと言われて罪悪感を覚えたか? オオカミを2匹も殺したお前が、まさかそんなたわけた感情に惑わされるとはな……」

「そ、それは……!」

 

 顔を上げたものの、言葉に詰まって身悶えするシグルに長老は嘆息した。

 

「……何やら様子がおかしいと聞いて、どうしたのかと心配していたが……お前、その子オオカミが逃げ延びて将来我々を襲いに来たらどうするのだ?」

「その通りだッ!」

 

 オージュがかさにかかって口火を切り、周りの雄たちが集中砲火を浴びせる。

 

 ――お前、自分が何をやっているのか、分かっているのかッ?――

 ――俺たちは、家族や友を殺されているんだぞッ! そんなけだものの子をあわれむなんてッ!――

 ――シグル、お前、両親をオオカミに食われたのを忘れたのかッ?――

 

 オージュが、その脇からフルーが楽しげに眺めている前で袋叩きに遭うシグルは弁解を試みたが、思考は渦巻くばかりでまともに口を利くことができず、ただされるがまま耐えるしかなかった。




 謹慎――

 それが、オオカミ殺しの功績を考慮して長老が下した処分だった。シグルが林の外れに見張り付きで封じられる一方、オージュは吹雪の中で恐怖をあおって支持を集め、長老に上申して許しを得ると、雄たちをまとめて討伐隊を組織した。雄たちがこぞって討伐隊に加わった背景には、相手が弱った子どもならたやすく殺せるだろうという考えがある。それを利用するオージュは子オオカミを仕留めて自分の手柄にし、これからの戦いにはずみをつけようとしているのだ。

 討伐隊メンバーが額を集めて横穴の場所を確認し、どのような作戦で仕留めるか話し終わったときには闇のとばりが下り始めていたので、万が一にも暗闇に紛れて逃げられることがないよう出発は翌早朝と定められた。

 

(……明日……)

 

 すっかり闇に満ち、勢いをいやます吹雪に荒らされる林の外れで針葉樹の根元にうずくまったシグルは、少し離れた木の傍らに立ち、時折退屈そうにうろうろする見張り役の雄2頭と鉄格子然とした木々越しに中央でうごめく小さな影たちを見つめた。

 明日に向け、がしっ、がしっと角を突き合わせて血気にはやる影……雪と土を掘り、蓄えておいた木の実を出して腹ごしらえをする影……右に左にせわしなく動き回って不安げに、あるいは興奮気味に言葉を交わす影……そうした動向につい目をやり、耳を傾けてしまうシグルは、子オオカミに迫る運命に思いを巡らせた。

 

(……明日早朝、討伐隊が山をのぼる……病と飢えで弱ったあのチビは、間違いなくなぶり殺しにされる……)

 

 それでいい……

 それでいい……はずだ……

 

 そもそも、自分もあの子オオカミを殺すつもりだった。ただ、弱った子どもに手を下すことをためらい、つまらない感傷にも惑わされた結果、こんなことになってしまった。それを、自分には果たせなかったことを他者が代わりにやってくれるのなら、自身で決着をつけられなかった恥が残るとはいえ、もうあの子オオカミに悩まされることは無くなる……そんなことをぼんやり考え、シグルはうつろな息を吐いた。それはすぐさま粗暴な風雪に吹き散らされ、闇にあえなく消えていく。それを見るともなく見ていると、見張りが動く気配がして、耳慣れた足音が近付いて来た。

 

「マルテです」

 

 現れた雌シカは、見張りたちにシグルとの面会を許可して欲しいと願い出た。

 

 ――マルテ、シグルは今謹慎中の身。みだりに面会を許すわけにはいかない――

 ――その通り。さぁ、みんなのところへ戻るんだ――

 

 しかし、マルテは少しだけでいいからと粘り、とうとう見張りたちを根負けさせて通してもらうと、そばに寄って来た。

 

「シグル……」

「……」

 

 シグルは黙って立ち上がり、さ迷う視線を黒ずんだ雪上に落とした。ビュオオオォ――ビュオオオォォ――とすべてを吹き流さんばかりに荒れる風雪の中、闇を貫く針葉樹の傘の下に立つ2頭……いたわりを含んだマルテのまなざし、温かな匂いに耐え切れなくなってシグルはあえいだ。

 

「……お前だって、オオカミが憎いだろ……」

「え……?」

 

 少し離れたところで聞き耳を立てている見張りを気にしながら、シグルは息苦しげにささやいた。

 

「……お前も幼い頃、姉を失っている……オオカミを憎んでいるはずだ」

 

 ざらついた吹雪の音に耳を震わせ、シグルは呼気に怒りの熱を混じらせた。

 

「……俺は憎い……! 母さんと父さんを殺したオオカミが、オオカミという存在そのものが憎い……!」

「……あなたは、オオカミの子を殺せなかったんですってね……」

「それは……決して俺の本意じゃない!」

「私……」

 

 にらまれたマルテは目を伏せ、束の間の沈黙を経て顔を上げると、シグルをまっすぐ見つめた。

 

「私もオオカミを憎んでいたわ。私の姉さんを殺して食べたのですもの。だから、今までオオカミを恐ろしい獣だとしか思っていなかった……」

「……俺だって、そうだ」

「でも……」

 

 マルテは後方の見張りをちらっとうかがい、シグルにぐっと近付いた。

 

「……私、あなたを親のかたきと呼ぶ子オオカミのことを聞いて、今更ながらに思い知らされたの……オオカミも私たちと同じ……両親がいて、育まれている生き物なんだって……」

「……だから……だから何だって言うんだ! オオカミがシカを襲って食うことを許せるとでも言うのかッ!」

 

 マルテから離れたシグルは角で幹を乱暴に突き、ぎりぎりとさいなんだ。角に削られた樹皮がはがれ落ち、びっくりした見張りたちが何事かと首を伸ばす。

 

「――どうしてシカがいて、オオカミがいる? なぜオオカミは、俺たちのように草や木の実だけを食べて生きていけないんだッ?」

 

 吠え、へし折れそうなほど角が突き立てられると、樹上に積もっていた雪がシグルの頭と背中にドサササッと落ちる。潰されてしまうのを案じたマルテがやめてと叫んだとき、背後で雄たちが慌てて姿勢を正すや闇からフルーを従えたオージュが現れ、シグルのそばに立つマルテを認めると、いきなり見張り役を角で殴りつけた。

 

「――お前ら、謹慎中の者に好き勝手させやがってッ!」

「そうだ、そうだぁ~! 何をやってるんだぁ~!」

 

 痛みに顔をしかめ、身を縮める見張りたちの前を傲然と通ったオージュはシグルとマルテから距離を取って足を止め、吹雪のうなりに合わせて怒鳴った。

 

「マルテ、こっちに来いッ!」

「オージュ、私が見張りに無理を言ったのです。責めるのなら私を責めて。シグルたちに乱暴はしないで」

 

 動かないマルテにオージュは結んだ口を蛇のようにくねらせ、落ちてきた雪で足が半分ほど埋まったシグルをにらんで突きかからんばかりに目をむいた。

 

「こんな、弱っているガキだからって理由でオオカミを殺せないような腰抜けに、なぜお前は優しくするんだ? こいつは要するに敵に情けをかけたんだぞ! それがどれだけの裏切り行為か、お前は分かっているのか?」

「その通り、オージュさんの言う通りぃ~ マルテはおかしい。シグルなんかに近付くなんて、まったくおかしいぃ~」

 

 非難にあおられるマルテは懸命に四肢を踏ん張り、シグルをかばおうとした。だが、シグルはそんな気持ちからも顔を背け、疲れた声を漏らした。

 

「……戻れ、マルテ」

「シグル……」

「独りに……しておいてくれ」

「でも……」

「いいから放っておいてくれ! さっさと行ってくれッ!」

 

 渇望が口からほとばしる。何もかもが、自分を取り巻く存在全てがシグルをめちゃくちゃにかき乱していた。マルテ、オージュ、フルー、長老、群れのシカたち、そして、あの子オオカミ――それらからシグルは逃れたかった。自分を混乱させるすべてを断絶したくてたまらなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

 背けられた顔にマルテは瞳を潤ませ、うつむいたままとぼとぼとオージュたちの横を抜けたところで足を止めて振り返ったが、変わりのない姿勢を見てうなだれると雪が乱れ飛ぶ暗闇に消えてしまった。それを見届けたオージュは見張りたちに誰も近付けるなと厳命し、沈んだシグルを鼻で笑って、フルーと林の中心に戻って行った。独り、樹皮が無残にえぐれた針葉樹の下に残ったシグル――その五体を殴り続ける吹雪が吠え猛り、思考を震わせる。

 

(……俺たちは生きるために木の実や草をはみ、オオカミは血肉を食らう……なぜだ!……)

 

 もし……もし仮に、シカが他の動物を、オオカミを食わなければ生きていけなかったとしたら……あるいは、いつも当たり前に口にしている木の実や葉、草が突然しゃべり出して、シカのことを敵だ、かたきだと憎悪したら……――

 奇妙な空想が頭に湧く。オオカミは確かに憎い……だが、生きるためにシカが木の実や草を食べるのと同様に、オオカミはシカを含めた他の動物を食べているのだ。それを責める権利が、果たして自分にあるのだろうか?

 吹雪く闇夜で白と黒がぐちゃぐちゃになり、よろめいたシグルは足を埋めた雪でバランスを崩して横倒しになった。もがいて雪を蹴り、白く汚れた体をどうにか起こしたものの、もう何が何だかシグルには分からなくなっていた。ただ一つはっきりしているのは、明日になればオージュ率いる討伐隊が、子オオカミを襲って殺すということ……