REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©NaG∀T∴

(2)

「そうか……よくやったな」

 

 老シカは少し離れて前に立つシグルをしわがれ声でねぎらい、吹き付ける雪に顔のしわを深めた。風雪になぶられる針葉樹林の少し開けた場所で、くすんだ毛並みの老シカをかなめに十数頭の雄シカがシグルを囲み、オオカミ殺しを初めて成し遂げた英雄に尊敬のまなざしを送っている。さらにその周りでは、ささやきを交わし、ちらちらとシグルを見てほめそやす雌たちに好奇心いっぱいの子シカたちがどうしたのかとうるさくまとわりついていた。注目を集めるシグルは、冷たく乾いた汗の臭いがする巨体の陰で赤い染みができた右後ろ足を固くし、やや頭を下げて目を雪上に落としていた。

 

「……長老がおっしゃる通り、オオカミを、しかも続けて2匹殺すなんて、大したものさ」

 

 赤黒い毛並みをしたオージュという若い雄が、歯と赤い舌をのぞかせて冷ややかに、それでいて粘っこい熱がこもった声で主役を褒める。

 

「ホント、ホント、オージュさんの言う通り、すごいヤツだよぉ、シグルは~」

 

 オージュの隣で腰巾着のフルーがふざけた調子でうんうんうなずいたが、それは他の雄たちの称賛にたちまちかき消されてしまった。

 

「ごぉほん」

 

 老シカ――長老は、喉に痰を絡ませながら大きく咳払いをして場を静めると、あらためてシグルを見つめた。

 

「それでシグル、近くにオオカミの子どもはいなかったのだな?」

「……ええ」

 

 シグルは詰まり気味に答え、

 

「……念のために辺りを探してみましたが、見つかりませんでした……」

 

 と、目をきつく狭めて報告した。

 

「そうか……それならば一安心だが……」

 

 長老はシグルの様子にいくらか怪訝な表情をしたが、すぐに頭を巡らせて周りの雄たちを見た。

 

「先頃、境山の麓……ここから北に3日3晩歩き、4日目の朝に辿り着く場所に移動した同胞がオオカミの一群に襲われたことは皆も聞いておろう。どうやらこの冬、連中は北で活動しているとみて間違いないが、その一部が西に2日歩いた黒沼の近くにいるのを見かけたとも聞く。シグルが殺したつがいも群れから離れて動いていたのだろう」

 

 外周の雌たちが恐れと一時的な安堵をない交ぜにしてささやき合い、それがさざなみになって広がった。長老は再びう、うぅん、と咳払いをし、口をつぐんだ一同をじろりと見回した。

 

「シグルのお陰で近くにオオカミはいなくなったが、いつまた山を越えて現れるかもしれん。雄たちは、気を抜かずに戦いの訓練に励むのだ。いざというときは、お前たちが雌や子らを守らなければならないのだからな」

「長老」

「ん……何だ、オージュ」

 

 輪から一歩進み出たオージュは、長老の許しを得て発言した。

 

「訓練を続けるのは勿論ですが、我々の意識を変える必要があるかと思います」

「うん……?」

「今まで我々はオオカミを恐れ、身を守って逃げ延びる訓練を重ねてきました。そんな弱腰がいざ襲われたときの情けない戦いぶりにつながり、結果として被害を大きくしていたのではないでしょうか。ですが、今回の件でオオカミも不死身ではない、いたずらに恐れることはないと証明されたのです」

 

 一旦言葉を切ったオージュは自分が耳目を集めているのを確かめると、風雪のうなりと張り合って声を高めた。

 

「――ですから、今後はオオカミと積極的に戦い、殺すことを目標としていくべきです。どのみち襲われるなら、こちらから先に攻めればいいのです。1匹ずつ誘い出して集団で当たれば、我々だってオオカミを殺せるでしょう」

 

 訴えたオージュは、顔を伏せているシグルに目をぎらつかせた。その暗く燃えるまなざしに気付かず、シグルはどよめきのうねりの中にぽつんと立っていた。

 

「オージュさんの言う通りだよ、みんな!」

 

 フルーがへつらう。

 

「――シグルにできるのなら、僕らも力を合わせて殺せるはずだ。そうだろぉ?」

 その扇動に雌たちは震えたが、雄たちはシグルがオオカミを2匹殺した事実に高揚し、今まで恐れ、おびえていた反動もあって、ややヒステリックに勇ましい言葉を競った。そうした反応をしばらく観察していた長老は、やがて一声鳴いて騒ぎの手綱を締めると、一呼吸置いてから重々しく言った。

 

「……皆の気持ちはよく分かった。わしは今までオオカミの影におびえ、群れをいかに逃がすか腐心してきた……だが、仲間を守るためにはオージュのような考えが必要なのかもしれん……」

 

 歯切れ悪く言い終えた長老は盛りがとうに過ぎた足を雪に踏ん張らせ、あがくように背筋を伸ばしてオージュを厳かに見据えた。

 

「オージュ、お前の思い通りに進めてみろ。それを見ながら、わしも考えさせてもらう……」

「分かりました」

 

 オージュは表情を燃え上がらせてうなずき、歯をむき出してニタッと笑った。

 

「いつかきっと、オオカミどもを皆殺しにしてみせますよ、長老」




 散会後、シグルは興奮冷めやらぬ皆から独り離れ、夜陰に沈んだ樹林の間を吹雪かれながら、血で汚れた右後ろ足を少し引きずって機械的に歩いていた。

 

(……なぜ、俺は……)

「――シグル!」

 

 びくっとして振り返ったシグルは、細長い影が左右に2,3本そそり立った向こうからオージュとフルーがにらんでいるのを見て、目元にしわを刻んだ。

 

「――どうした、シグル?」オージュがいら立つ。「何をぼんやりしている?」

「……いや……別に……」

 

 うるさげに返すと、シグルは行きかけた格好で何か用かと尋ねた。

 

「ふん、長老の命令なんだがな……他の雄たちに戦い方を教えてやって欲しいんだよ。オオカミ殺しの英雄にご教授願いたいのさ」

「そーそー、オレたちもオオカミを殺せるようになりたいんだよぉ。お前みたいに、さぁ」

 

 刺々しさからにじむ妬みに顔を背け、シグルは口をきつく結んだ。そもそもこの2頭は、オオカミに挑むなんて愚行だと嘲笑して皆を同調させてきた。それゆえ、シグルは単身山に入る羽目になったのだ。それが今は持て囃される自分に対抗し、オオカミとの積極的な戦いを主張している……かみ締めた歯の裏にしびれるような苦みを覚え、シグルは早く立ち去りたい衝動に駆られた。

 

「シグル、何とか言ったら……」

 

 突っかかりかけたオージュの後ろで気配がし、暗がりから浮かび上がったすらりとした若い雌がオージュたち、そしてシグルを見ながらたおやかに雪を踏んで近付いて来た。

 

「……あなたたち、シグルはとても疲れているのだから、今夜くらいそっとしておいてあげたらどうなの?」

「マルテ……別に俺たちはシグルをいじめているわけじゃないんだぜ。オオカミを殺すために協力してくれって頼んでいるだけなんだ。俺だって親をオオカミに食われている。そのかたきを取りたいからな」

 

 幾分声を和らげるオージュから視線を外して脇を抜け、マルテはシグルをかばうように栗色の毛並みを間に入れた。それを見たオージュの目付きが毒々しくなり、マルテ越しにシグルを突き刺す。こみ上げる嫌悪と煩わしさに耐えかねたシグルは、

 

「……すまない、疲れているから……」

 

 と放り出すように断り、足早にその場を離れた。

 

「あ、シグル……」

 

 マルテの声を背ではじき、シグルは吹雪の林をどんどん歩いた。歩を進める度、右後ろ足がじんじんと痛む。血は止まってはいるが、そこに残っている小さな牙のあとは、鈍痛とともに否応無くいきさつを思い出させる――