REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©NaG∀T∴

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 肉が切り裂かれ、血が噴き出す音が聞こえました。サイキが私をかばって剣を受け、崩れていくのが見えました。仰向けに倒れた体に飛び付き、ごぼごぼ血があふれる傷口を両手で押さえて繰り返し名を呼ぶ私を見つめ、サイキは微笑して絶え絶えな息を漏らす唇を動かしました。

 

 ……逃げ……て……

 

 それがこと切れる寸前の、最期の言葉でした。絶命したサイキの巨体は、すぐに土くれになって崩れました。死んでなお、黄泉国の住人としてわずかに残っていた命の残滓ざんしが消え去ったのです。私は肉の中のうごめきに操られるように体を震わせて嗚咽おえつし、血に濡れた両手を握り締めました。そして夫に蒼く燃える目を向け、なぜこんなことをと怒鳴って泣きわめきました。それに対し、夫は醜く引きつった顔で怒鳴り返しました。今のお前は死に蝕まれた化け物だ、そんな物のと一緒に朽ちていきたくなどない、美しい思い出を汚されたくはない――だから、この場で死んでくれ、と――

 

 私の中を這いずるものがのたうち、心が無残に引き千切られました。

 

 ……何という……何ということでしょう……かつてあれほど愛し合っていたのに、この身が醜くなり果てても夫への愛は変わらなかったというのに……いったい……夫は私の何を愛していたのでしょう? 天上一、二とうたわれていた美貌を、麗姿れいしを愛していたのでしょうか? 仮に立場が逆だったなら、始めは激しく煩悶はんもんしたとしても、きっと私は黄泉国に留まって添い遂げると決めたでしょう……そこまで求めるのがこくだというのなら、せめて……せめて嘘でも優しい言葉をかけてくれたなら、それだけでも私は救われたでしょうに……!

 

 知らぬ間にうなり声を震わせ、高ぶっていく私の体から――何かが蛆の巣食った肉を突き破って飛び出しました。

 

 ――腕から――脚から――胸から――頭から――――

 

 腐った体から飛び出したのは、鎌首をもたげて牙をむいた八匹の蛇たちでした。

 

 私は、このとき死んだのです。

 

 夫の裏切りに殺され、真に化け物となったのです。

 

 おぞましい姿に震え上がり、背を向けて一目散に逃げ出したあの男――私は、がっと開いた口から狂った絶叫を噴き、血のように赤い舌を突き出した八匹の蛇と後を追いました。騒ぎに気付いて集まって来た鬼たちも叫びから状況を察し、ごうごうと狂い燃える憎悪と一つになりました。

 

 激しく揺れる松明の炎を追って地響きを上げる、おびただしい影、影、影――――

 

 数千の鬼たちと怒涛どとうになった私は髪を振り乱し、蛆をまき散らす狂ったけものとなりました。蒼く燃えたぎる目をひんむき、耳元まで裂けた口から怨嗟を吐いて、足裏の皮が千切れるのも構わずに荒野を駆けました。その追手から死に物狂いに逃げるあの男は、襲いかかる鬼たちを剣で薙ぎ払いました。次々と宙に首が飛び、血しぶきが散ります。ウネイ、サフミ、アラギ、カナネ、リョクヒ、ヤサツ、ホノマ――私の鬼たちが、家族が無残に斬り飛ばされていきました。しかし、仲間が斬られ、倒れるほど私たちは猛り狂い、かたきの肉と臓腑ぞうふを残らず食い千切って血をすすり、汚物おぶつにしてやらずにおくものかと猛進しました。

 

 ですが、忌々しいことにあの男は生き延びようとあがき、まず頭にかぶっていた黒御鬘の冠をつかみ取って地面に叩きつけました。すると地面が揺れて何本ものぶどうの木がめきめきと生え、枝葉を茂らせて実をつけたのです。ぶどうの実がかたきだと惑わされた鬼たちは、私の制止を聞かずに次々と食らいついていきました。それでも足りないと見るや、あの男は髪に挿していた櫛を投げて無数のたけのこを生やし、ぶどうの実同様に鬼たちを混乱させました。しかし、それでも私たちを止めることはできません。追いつかれそうになったあの男は、逃げる途中に生えていた桃の木の実をもぎ取ると、力を込めて後方に投げつけました。

 

 バアァァァァァァ――――――――――――――――――――――――――――!

 

 桃の実は宙で小さな太陽に変じ、強烈な光熱で一帯を瞬く間に蹂躙じゅうりんしました。絶叫してばたばたと倒れたり、恐怖にかられて逃げ惑ったりと阿鼻叫喚に陥って散り散りになる鬼たち――その攻撃を辛うじて耐え抜いた私は独り、おびただしいむくろを飛び越えて執拗に駆け続けました。

 

 追いかけていくうち、私は枝を蜘蛛の巣のように広げる枯れ木と岩だらけの谷間を抜け、以前遠目に見た天く山にまで達し、冷たい闇が満ち満ちたほらに入り込んでいました。びちゃびちゃと水滴が垂れ、こけがそこかしこにす鋭利な岩が突き出した岩窟はだんだん急峻きゅうしゅんになり、やがて崖のようになって、あの男と私を這い上がるような格好にさせました。そのうち辺りが少し広くなり、遥か前方に小さな光が見えたのです。

 

 ――地上の、陽の光――

 

 気付いた私は断じて逃がしてなるものかと力を振り絞り、地面を蹴って、蹴って、蹴り続けました。そしてあと一歩、あと一息で爪が届くところでした。あいつは私を振り切るため、残った力のすべてで千人がかりでも動かせないほどの巨岩きょがんを生み出し、私の行く手を、

 

 どおおおおおおおおおおおんんんンンンッッッッッッ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!



と塞いだのです。

 

 私は寸分の隙間も無く塞いだ巨岩に飛び付いて動かそうとしましたが、あの男の渾身の力が込められていてびくともしませんでした。罵詈雑言ばりぞうごんを吐きまくり、砕け散らんばかりに歯ぎしりする私に、あの男は巨岩越しに喘ぎながら言い捨てました。

 

 お前との縁もこれまでだ――!

 

 その言葉に私は凶暴に吠え、岩窟に怨念をとどろかせました。

 

 ――呪ってやる! 人間どもを毎日千人呪い殺して地上を死で満たし、お前を蝕んでやる!――

 

 それは、私の凄絶な憎悪と執着でした。すると、あの男は唾棄だきするように切り返しました。

 

 ――ならば、毎日人間が千五百人産まれるようにして呪いを打ち払ってやる――  そして、足早に離れて行く気配がしました。私と蛇たちは巨岩に爪と牙を突き立ててあらん限り吠え、あの薄汚い男との交わりで産まれた地上のすべてが滅び去るように念じ続けたのです。

 

 それが、私とあの男の最後でした。

 

 今でも私は、深い闇の底で呪詛じゅそを続けています。あの男を死に至らせて地獄に引きずり込む、そのときまで……