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REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©永都由崇

Mov.47 よみがえる悪夢(5)

「……学校よね、ここ?」

「うん……また誰かとシンクロしているんだ……」

 

 同年代の制服姿とすれ違い、連なる無個性なドアと窓に目をやって……ユキトは、まるで幽界といった感の薄暗い廊下を紗季と慎重に歩いた。入谷たちと戦ううちにユンたちとはぐれ、濃霧と幻覚の中をさまよって迷い込んだ無音の世界は、窓ガラス越しに校内を薄ら寒く染める曇天と相まって不気味な陰鬱さを醸していた。

 

「ねぇ」

 

 紗季が前から歩いて来た少女を避け、その後ろ姿を目で追ってから言う。

 

「……この制服、加賀美さんが着ていたのと同じじゃない?」

「そうだな……確か聖奏学園とかって……」

「あっ! 斯波、あそこっ!」

「え?――あ!」

 

 紗季が指差す先――開いたドアから教室をのぞいたユキトは、窓際の席にぽつんと座って暗色のブックカバーがかかった文庫本を読む黒髪少女を認め、一瞬体を硬くした。

 

「……潤……!」

「だよね……本物かな?」

「……幻、だろ……?」

「……行ってみよっか?」

「えっ? お、おい」

 

 思い切り良く教室に入る紗季――その後を追ったユキトは、整然と並んだ机と椅子やあちこちで群れる学生の間を通って潤にそろそろと近付いた。教室には20人弱の影があったが、蝋人形のような彼女の周りにはうつろな領域ができていた。

 

「加賀美さん……」

 

 机の前に立った紗季が少しかがんでガスマスク越しに声をかけるが、視線は黒い文字の羅列から離れない。ユキトは横からうかがい、棘に似たまつ毛や生気が乏しい瞳、青みがかった唇を観察した。

 

「……幻だよ。本物じゃない」

「だね……ん?」

 

 不意に紗季が背を伸ばし、教室の中を見回す。

 

「どうした?」

「聞こえない? この声」

「声?――」

 

 突然、鼓膜にノイズが差し込む。針金が絡み合うような異音――顔をしかめて耳を押さえ、ユキトはそれを発する影たちに頭を巡らせた。

 

「何だ、これ? 声?」

「そうみたい……だけど、これ日本語じゃない……コリア語?……よく見ると、壁の掲示物もそうだわ……」

「……本当だ……それにしても、ごちゃごちゃしてて何言ってるか分か――」

 

 声が有刺鉄線状に急変――ユキトは胸を執拗にえぐられる感覚に襲われ、吐き気をこらえてガタガタッと身震いした。入り乱れた言葉自体はほとんど聞きとれなかったが、その内容が目の前の潤を通して突き刺さり、頭の中でイメージが凶暴に渦巻く。

 家族に背を向け、愛人のところに去った父親――

 養育費目当てに一人娘を引き取り、男と遊んで暮らす母親――

 父親に捨てられ、母親がふしだらなせいで後ろ指を指され、いじめの標的になった自分――

 それらの生々しい光景は、魂を千々ちぢに引き裂かれるような悲しみや自らを焼き尽くすほどの怒りの荒波を繰り返し叩き付け、ユキトたちを激しく揺さぶった。

 

「……何よ、これ……ひどい……!」

 

 胸を押さえてジャージをしわ立たせ、周りの影をにらんだ紗季が悲痛なまなざしを潤に注ぐ。

 

「……これ、加賀美さんの記憶なの?」

「……分からないけど、ミストが精神的ダメージを与える幻覚を見せているのなら……」

「苦しめるために作り出されたイメージか、思い出したくない過去そのもの……彼女を通して伝わる感じからすると、あたしは後者だと感じるわ……」

「……かもしれない……それにしても、どうして潤がコリアンスクールに……?――あっ!」

 

 教室が潤や生徒たちと崩れ、どろどろとした混沌を経て参考書が並び、タブレットPCが置かれた勉強机と椅子のある薄暗い部屋に変わる。

 

「――潤?」

「加賀美さんッ!」

 

 壁際のシングルベッド上で、男女が取っ組み合っていた。

 ミニスカートの裾を乱して必死に抵抗しているセーラーブレザー姿が潤、のしかかって組み伏せようとしているのが母親の男――母親不在時に無理矢理家に上がり込んだ男に乱暴されかけている――伝わる潤の思考から事態を知った2人は助けようとしたが、金縛りにかかったように勉強机の脇――ベッドの頭側から動けなかった。

 

「あっ!」

 

 紗季が声を上げるのとほぼ同時――潤が胸ポケットから出した飛び出しナイフを男の左脇腹にザッと突き立てる。悲鳴を発した男を蹴り飛ばし、わめきながら血で汚れたナイフを振り回して部屋から追い出した潤はフローリング床にへたり込み、乱れた黒髪を垂らしてうなだれ、細い肩を震わせた。

 

「……潤……」

 

 金縛りが解け、ふらつくと、幻覚はたちまち崩れて立ち尽くす2人もろとも闇が辺りを飲み込む。

 

「……知らなかった……」

 

 こうべを垂れ、汗でぬらついた額に左手を当ててユキトはうめいた。

 

「……そりゃ、親しいからって何でもかんでも話さないよ。知らなくたっておかしくない……」

「……だけど、僕は気付くこともできなかった……あれだけ一緒にいた――」

 

 斬りつけられるような気配にバッと振り返ると、20メートルほど後方で何かがギラッとひらめく。それはすぐに凄絶な白刃となり、抜き身の日本刀片手に闇から白軍服姿の黒髪少女が浮かび上がる。

 

「――じゅ、潤……!」

「……あなたたち、何をしているの……?」

 

 黒い毛先がかかる冷たい顔で、どろどろ燃える双眸。たじろぐユキトの横で、紗季がブレイズウインドを握った左手を胸の前に上げつつ、なだめようとする。

 

「加賀美さん、あたしたちは――」

「ほじくり出された記憶を勝手にのぞき見?……つくづくあなたたちは、私を不愉快にするわね……」

「僕たちは、いつの間にか……勝手に知ってしまったのは謝るから――」

「私は、過去を切り捨てた。知ってしまったのなら、消えてもらうわ……!」

 

 右手の日本刀――巴が消える代わりに左右の手がそれぞれ紅色の柄巻きを、日本刀をググッと握り、ミストにあおられた狂気のまなざしがガスマスクコンビをとらえて腹を裂くように細まる。

 

「……絶対に許さない……! この〈滝夜叉たきやしゃ〉でなます・・・に切り刻んでやる……!」

「落ちついて、加賀美さん! 冷静に――」

 

 妖光を帯びた一対の白刃が闇を舞い、潤の周りを蛇に似た軌跡で彩る。

 

「や、やめろ、じゅ――」

「受けなさい、スペシャル・スキル〈緋修羅ひしゅら〉ッ!――」

 

 制止を斬り払って滝夜叉が振られ、数多の光る刃がめった切りにするべく標的へ――