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REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©永都由崇

Mov.31 手の平(4)

 ――ゼェ、ハァ――ゼェ、ハァ、ハァ――

 

 飛び散る、雨混じりの汗――

 

 ――ゼェェ、ハァ――ハァ、ゼェェ、ハァ――

 

 スウェットの上下がぐしょぐしょ、靴下が泥まみれの姿が、妖魔のごとく踊り狂う木々の間を一目散、転がり、突き飛ばされながら逃げる――その背後から焼けたあえぎに迫る、グォッと上体を起こした巨大カマキリムカデの前脚の大鎌――凶暴さを増した流動にあちらへこちらへと押し流されて走るうち、複数いたフォル・ミルは1体、また1体と流されていったが、最後の1体はしぶとく獲物を追い続けていた。

 

「――ハァ、ハァ――ゼェ、ハァッ――ぉおァッ!」

 

 泥だらけの下半身に流動がタックルし、つんのめった体がくねる幹にドッとぶつかって下生えに突っ込む。樹皮で擦りむいた鼻と右頬にジュッと染みる泥水、見るに堪えないほど汚れたスウェットの下で痛みを響かせる右肩と胸部――

 

「――ぅッわァァァッッ!」

 

 とっさに転がる体をかすめて下生えをザスッと断つ、ギザギザの刃――左手と異形の右手とを地に突き、這ってネズミのごとく駆け出したとたん、流れる泥に足をすくわれてつんのめるその頭の上を鎌がギュオッと斜めに一閃――大人2、3人まとめた太さの幹が強引に切り裂かれ、ドザザァッと倒れる。

 

(――こッ、殺され――)

 

 腰を抜かし、這いずりながら見開く目を覆い、凶器をグワッと振りかざす影――すくみ上ったユキトが観念しかけたとき、横手から飛来した光がフォル・ミルの左肩に刺さって揺らがせ、光の尾を引いて続く2射目が胴体を貫いて、致命傷を受けた巨体が悶絶しながら光のちりに変わって吹き散らされる。こわばった蒼白が矢が飛んで来た方を向くと、銀の洋弓――シルバーブレイズを携えて駆け寄る栗色ショートヘア少女が視界に入った。

 

「斯波、大丈夫ッ?」

「……し、篠沢……」

 

 へたり込んだところに来ると紗季はしゃがみ、泥まみれの体をチェックした。

 

「どっかけがしてる? 痛いとこ、無い?」

「……どうして、ここに……?」

「あんたを捜してたら流されて……その先で追われているのを見かけたからよ。それより――」

 

 紗季はシルバーブレイズをしまうと出現させた矢を逆手に持ち、ユキトの手首にはまった封印の手錠をつかんだ。

 

「ど、どうする気だよ?」

「壊すに決まってるじゃない。今のままじゃ、どうしようもないでしょッ!――」

 

 矢じりが鎖を砕いてばらすと、両手首にはまっていたかせが光のちりになって消滅する。封印を解かれたユキトはふらふら立ち上がり、風雨になぶられながら呪われた黒い右手を見つめた。

 

「ほら、ちゃんとバリア張りなさいよ。じゃ、帰ろ」

「……いや……帰らないよ……」

「は?」

 

 眉を曲げる紗季に体を斜にし、ユキトは渋面をそらしてうつむいた。

 

「……いない方がいいだろ、僕なんか……みんなを襲うようになるかもしれないし……」

「魔人化は精神に影響を与えないって聞いてるわよ。首藤さんがあんなふうになったのは、大流動で独りになってしまって支えてくれる人がいなかったからでしょ」

「……手錠が外れたことだし、どうにかやっていくよ……迷惑はかけたくないから……」

「ちょっと待ってよ、斯波――」

「触るなよッ!」

 

 左腕をつかんだ紗季の手を振りほどき、ユキトは風のうなりに怒声を混じらせた。

 

「――やめろよッ、お節介せっかいはッ! お前だって、本心じゃいない方がいいって思ってるんだろッッ!」

 

 吐き捨てて歩き出すやふらつき、崩れた膝がドッと地面に突く。疲労がデモン・カーズに悪影響を与え、頭がくらくらしてひどいだるさが全身をさいなむ。それでもユキトは捨て鉢に立ち上がり、引きずり込むように揺らめく森の闇へおぼつかない足を出した。

 

「ちょっと待ってってッ!」紗季が、ガッと左腕をつかむ。「あたしも協力してくれた人たちも、あんたのこと一生懸命捜したのよ!」

「……勝手にやったんだろ……放っといてくれよッ!」

「!――」

 

 左腕がグイッと引っ張られ、よろめいたところで左頬を思いっきり殴られ、倒れるユキト――痛みに顔をしかめ、半ばぼう然と見上げた先では、紗季が胸の前に上げた右こぶしを震わせていた。

 

「分かったわよッ! そんなに言うのなら、好きにしなさいよッ! 独りで好き勝手にやって、どうとでもなればいいわッ! だけどね、あたしは引きずってでもあんたを連れて帰るからねッ!」

「……何言ってんだよ……言ってること、めちゃくちゃじゃないか……」

「うるさいッ!」

 

 かがんだ紗季はグレーの胸倉をつかんで引っ張り、鼻先の顔をにらみつけた。

 

「……あたしが……あたしが、魔人になるとか何だとかで切り捨てると思ってんの? バカにしないでよ! バカにしないでよッ!」

 

 潤んだ熱い瞳を間近に見、頑なだったまなざしが弱まる。瞬きした紗季はスウェットを放して体を起こし、目をこすって鼻をすするとユキトを見据え、表情をいくらか和らげてかがみ、右手を差し出した。

 

「……ほら、いつまでそんなカッコしてんのよ」

「……篠沢……」

 

 ほのかな微笑に引かれ、ためらいがちに手を伸ばしたユキトは、それが醜い右手だと気付いて引っ込めようとした。だが、その右手を紗季はしっかりつかんでグッと引っ張り、立ち上がらせた。

 

「……それにしても、あんたグショグショのドロドロね。早く帰ってどうにかした方がいいわよ」

「あ、ああ……」

 

 右手でぬくもりを感じていたユキトの前でアラートが発報し、画像が乱れたマップ上に四方から接近するいくつもの赤い光点が表示される。詳細確認すると、それはフォル・ミルの群れだと判明した。

 

「……7、8……どんどん集まって来る……!」

 

 紗季がヘブンズ・アイズを見て言い、シルバーブレイズと矢を握る。

 

「――囲みを破って遺跡に走るよ。やれる?」

「……やるよ……!」

 

 手を放して見つめ返し、両こぶしを固めてバーストしたユキトは光を帯びた体を紗季の横に並べ、ゆがみから迫る脅威に身構えた。自分のことより何より、彼女を餌食えじきになどさせたくなかった。

 

「――行くよッ、斯波!」

 

 走り出した紗季に続いてユキトもバリア保護された足で地面を蹴り、くねる木々の間からわらわら飛び出すカマキリムカデたちへ突進した。振り回される鎌をかわして矢が光の尾を引き、炸裂する黒いこぶしが外骨格をベギャッと陥没させる。次々襲いかかるフォル・ミルたちを倒し、かわしながら2人は樹間を駆け、引きつって表示されるコンコルディ遺跡をひたすら目指した。

 

「――ぐぅッ!――」

 

 足がもつれ、ユキトはつんのめって転倒した。流動にもまれながら逃げて疲弊した肉体が限界を訴え、視界がかすむ。

 

「――しっかりッ!」

 

 紗季が左腕をつかんで助け起こす。眉根をきつく寄せてかつを入れたユキトは懸命にこぶしを振るい、光のちりが散り散りになる中、ガクッと片膝を突いた。交戦していた個体はすべて倒したが、マップには流動に乗って接近する新手が表示されている。

 

「頑張ってッ!」紗季がキュア・ブレスをかけ、ユキトの傷を癒す。「もたもたしていられない。また来るわよ!」

「分かってる……!」

 

 額に張りついた濡れ髪をかき上げ、ユキトは立ち上がって複数の赤い光点をにらんだ。前方からだけでも10体はいる。自分もそうだが、オレンジジャージのあちこちを切られた紗季も肩で息をしている。正面突破にもたついている間に側面と後方から襲われたら、抗い切れるかどうか……

 

「……やるしかない。行こう……!」

「ええ。――あれっ?」

「どうした?」

「正面の赤い点が一つ……消えた?」

 

 画面を確かめると、前方の赤い光点が別の標的を追うように動き出してユキトたちの進行方向から外れる。目を凝らしても、薄暗い上に空間がひどくゆがんでいるので揺らめく木々の向こうで何が起きているのかは分からず、マップにもフォル・ミルたちを引き寄せている存在は表示されていなかった。

 

「……チャンスだよ! 走ろッ!」

「よし……!」

 

 うなずいたユキトは残った力を振り絞り、下生えを蹴散らし、泥に足跡を残しながら空間の流れに全力で逆らった。樹間を駆け抜ける途中、ユキトは吠え立てる風越しに雷鳴に似た銃声を聞いた気がした。