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REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©永都由崇

Mov.27 白い闇(3)

(……こ、こいつッ……!)

 

 痩せた全裸の黒い鬼――それが最も近い表現。

 石が転がる地面を黒い素足で踏み、180センチほどの細身をやや前に曲げ、赤い爪が尖る節くれ立った手をだらりと垂らす異形――まるで頂上付近数キロ四方を飲み込んでいるであろう霧そのもの、天衝く化け物のごとき圧倒的存在感……!――その額からは灰色の角がねじれながらかぎ爪状に伸び、落ちくぼんだ眼窩がんかでは呪いを固めたような目玉が暗く燃えたぎり、こけた頬とつながる裂けた口からは不ぞろいの牙と赤く濡れた舌がのぞく。仲間たちが巨獣を前にした蟻のごとく驚愕し、動転しながら得物を出して臨戦態勢を取る中、ユキトは周りとはいささか異なる戦慄を覚えていた。

 

「……くふふふ……」

 

 人間臭く笑った黒鬼は血の気を失った新田たちを上目遣いに見、牙と牙の間から声をはずませた。

 

「……ひどくないですか、いきなり殴るなんて? ひどいよね。ひど過ぎる。ホントそうだよね。せっかく楽しませてあげていたのに。ねぇ? そうそう、乱暴だよ……」

「――しゃ、しゃべったッ!」

 

 阿須見が大槍の穂先で示して驚き、沢城たちがうろたえて握った得物を揺らす。それを見てけたけた笑った黒鬼は前のめりの体をのっそり起こし、頭を左右に振りながら口元を嘲りでゆがめた。

 

「どうだったかなァ、アタシのスペシャル・スキル〈ミスト〉は? この霧にはね、幻覚作用があるのよ。大まかにだけど、どんなものを見せるかコントロールできるんだ。すごくない? すごいよ、コネクトに食い付いたバカどもにいい夢を見せてあげたんだね……くふふふふふふふふ……あれあれ? 感謝するどころか殺気立っているよ、この人たち。残酷だな。冷酷だな。仮にも一緒に戦った仲間に対してすることじゃないよ。だよね、マジでそう思う。あああああぁぁ……ひどいッ! ひどい! ひどい! ひどい! ひどい! ひどい! ひどい! ひどい! ひどいィィッッッ!」

「仲間?」弦を引き絞った紗季の右手が、ぶれる。「仲間って、どういうこと?」

『ご説明致しましょう』

 

 黒鬼がねじれた角を傾け、頭上数メートルの光を見上げる。濃霧の中に現れたワンは、集まる視線に応えてきらめいた。

 

『――彼女は首藤架穂しゅどうかほ。あなた方と一緒にテラ・イセクの群れと戦い、その後の大流動にさらわれた少女です』

 

 そのレスポンスに坂本が「えッ?」と叫んで表情をこわばらせ、遠山と北村が絶句する。

 

「そ、それが、どうしてこんな姿に?」と紗季。「またHALYとかってのが変なことをしたの?」

『首藤架穂は、デモン・カーズに侵されていたのです』

 

 ビクッと震えるユキトをよそに、ワンは原稿を読む調子で皆に人を魔人化させ、最終的に死に至らしめる呪いの説明をした。

 

『――モンスターから生き延びるためにバーストし続け、デモン・カーズが急激に進行した結果、首藤架穂は完全に魔人と化しました。やがてアストラルが崩壊して消滅するでしょう』

「くふふふ……そうなんだって……」

 

 魔人――首藤架穂の垂れた長い両腕が、ぶーらぶーら前後に揺れる。

 

「――アタシ、死んじゃうんだ。こんな姿になったあげくに死んじゃうんだ。今まで別に何も悪いことしてないのにこんな目に遭うんだね。怖い、怖い、怖い……理不尽だね。不条理だよ。不公平だなあッッ! どうしてあなたたちじゃないの? なんでアタシなんだろう? ねぇ、どうして? どうして? どうしてッッ? 理由なんてあるの? そんなもの無いよ。そうだよね。そうだよね……」

「ワ、ワン!」新田がもがくように見上げる。「彼女を、首藤さんを元に戻す方法は無いのか?」

『残念ですが、現状ではございません』

「そんなことないでしょ!」紗季が突っ込む。「このゾーンから脱出できれば、与えられた設定からは解放される! あなたも助かるはずよ!」

「くふふ……」

 

 醜く潰れた鼻が、薄い唇が、うつろな嘲笑でピクピク震える。

 

「――助かる? 死ななくて済むかもってことよ。ああ、そうか……でもね、こんなにアストラルが変異したら後遺症がどれだけ残るか分かったもんじゃないし、何よりアタシはもう長くないみたいなのよね。この体は、アストラルは、じきに崩壊して消えてしまうんでしょう? ええ、きれいさっぱり消滅するはずだわ。ええ、ええ、そう、そう、そう、そう、そう……」

 

 ガクガクうなずきながら笑う魔人が光を帯び、体からどす黒い怨念が噴煙ふんえんのごとくボオオオッッッと噴き出す。最前列で新田ともども殺気の暴風にさらされたユキトは、正夢になった悪夢を前に右こぶしを痙攣させ、足をすくませていた。

 

「――斯波君!」

 

 横に並んだ秋の声が金縛りを解く。両前腕にパイル・シューター――鉄杭撃ち器を装備した秋はユキトたちの半歩前に出、腰を落として恐るべき脅威と対峙した。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」紗季が叫ぶ。「あたしたち仲間でしょ? どうして戦うみたいな流れになってるんですか?――ねぇ、首藤さんッ!」

「くふふ、戦わなくてもいいよね。うん。アタシは、あなたたちをグッチャグチャにしたいだけだし。そう、ミチョミチョミチョのグログログロにね。アタシがこんな有様なのに、あなたたちが何ともないなんて許せる? 許せないよ。だって、だって、平等じゃないもん。そう、そう、その気持ちよく分かるな。当然だよ。だから、だからね、余計な抵抗なんてしないでよ。くふふ……」

「――みんな、戦闘態勢を取れッ!」

 

 引きつった新田の声――そして、彼の右手の中で発生した稲妻がスパークしながらエネルギーを増大させ、坂本のグレネードランチャーが狙いを定め、プレートアーマーを装着したミリセントが大剣を振りかざし、ショットガンを構える遠山がジャゴッとポンプアクションを行い、阿須見、大鳥、檀、北村、久喜宮、沢城が苦悩する紗季の周りでためらいがちに身構える。

 

「斯波君、構えろッ! 来るぞッ!」

「は、はいッ!」

 

 秋の指示にユキトは左右のこぶしをグッと固め、震えを無理矢理殺した。

 

(……こんな……こんなふうになるもんか……! 僕は……!――)

 

 おののく意識を凶暴な咆哮がドッとぶち抜き、濁った濃霧を乱して黒い影が猛然と飛び出した――