REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©NaG∀T∴

Mov.10 薄闇の中で(1)

 

 殴られながら固まったような形の石垣に腰かけて黒のスポーツサンダルをはいた足を垂らし、シン・リュソンはコンコルディ遺跡を包囲する闇にむき出しの刃に似た目を細めてハンバーガーにかみついた。StoreZから購入したそれはリアルのファーストフード店のものと変わらぬチープな味を舌に伝え、ぼんやりとしたみじめさを感じさせる。シンは左脇に置いていた蓋付き紙コップをどこか捨て鉢につかむや、傷口にしみるような刺激の炭酸飲料をズーッとすすった。崩れた迷宮のような遺構広がる遺跡南側では、あちこちで井桁型に組まれた薪が曇天の夜空へと燃え上がっており、黒い半袖Tシャツを着た背中にも赤橙の明かりがかろうじて届いていた。

 

「……だれだ!」

 

 忍び足に気付いて振り返ったシンは軽く舌打ちしてため息をつき、再び前を向いてストローをくわえた。

 

「……おどかそうってのか、オメー」

「へへへぇ」

 

 人影がいたずらっぽく笑ってはずむように近寄り、自分の肩くらいの高さの石垣をよいしょとよじ登ってシンの左隣に腰かける。吉原ジュリア――ローティーンではあるが、精神的にはまだ幼稚園児かと思えるあどけなさ――しかし、オープンショルダーの花柄チュニックTシャツから出た肩や首、ハーフパンツがさらす太ももから幼い色気を無意識に匂わせている。シンは尻を少し右にずらして触れそうな肩から離れ、彼方で微かに揺らめく暗闇を見ながら紙コップ片手にハンバーガーを口に運んだ。

 

「おホシさまみえへんねー うちねぇ、よくおそとにだされてたから、おホシさまいろいろしってるんよ。うさぎのおホシさまとか、こいぬのおホシさまとか、とりのおホシさまとか。すごいやろ」

「……なにしにきやがったんだよ……」

「さっきはおおきに、シンちゃー」

「『シンちゃー』ぁ?」

「うん。なまえ、シンにゃんとかやろ。だからシンちゃー」

「……おおきに、ってクモバッタとかのことか? それなら、さっきいったじゃねーか」

「うん、ニーちゃんとこにおくってもらったとき、おおきにってゆーたね」

 

 にっこりするジュリアを横目で見、シンがハンバーガーの残りを口に押し込んで咀嚼そしゃくし、ズズズッとストローを鳴らして流し込むと、バーガー袋と紙コップが光のちりになる。使い捨ての容器は、用済みになると自動的に『廃棄処理』される設定になっていた。

 

「でも、うちまだちゃんとオレーしてへん」

「おれい?」

 

 小柄な体が急にしなだれかかり、湿った唇が首に吸いつく。ひっくり返りかけたシンは目を白黒させながらジュリアの肩をつかみ、強引に離して大声をぶつけた。

 

「なっ、なにしやがんだ!」

「なにって、オレーやわ。うち、『ハイ』なんよ」

「はぁ? ハイ?」

「そう、ハイ。ホントのにんげんは、ハイなんやって」

「……それって、〈ハイ‐クラス〉のことか? ALじゃないからって……」

「そう。ハイなんよ、ハイ」

「やっ、やめろっ! くっつくんじゃねぇ!――」

 

 じゃれつくのを赤面しながら乱暴に引っがすと、ジュリアはしょげて耳を下げた子犬のようになった。

 ハイ‐クラスとは、性風俗関連の俗語で、『性的サービスを提供する本物の人間』を意味する。

 ワールドで人工生命――ALが人間に代わってあらゆる仕事に従事する今日、性風俗業でもALがノーマルからアブノーマルまであらゆる欲望のはけ口になっていたが、本物の人間によるサービスも依然として存在していた。業界がALよりも『上級』とうたう人間には、暴行などの犯罪行為が許されなかったが、それでも本物志向の客からの需要は多かったのである。

 

「……シンちゃー、うちじゃうれしくないん? みんな、よろこんでくれるのに……」

「なんで、そんなコトしてんだよ! そんな……!」

「……だって……だって、うちはバカやから……ソレしかできることあらへんて……グスッ……」

「んなコト、どこのどいつがいったんだよッ!」

「……ママが……うち、ほんまにバカやし……」

 

 涙をこぼし、鼻をすするジュリアに舌打ちし、シンが牙むく形相を正面にそらすと、右手にイジゲンポケットから黒くてごついS&W・M500タイプのリボルバー〈バイオレントフォー〉が現れ、ずしりとした重さを感じさせる。

 

「……オメーのオフクロが、ヤラせてんのか……!」

「……おかね……ママよろこぶし……みんな、バカでもよろこんでくれるし……」

「ザケんなッ!」

 

 シンは噴火するごとく立ち上がって両手でバイオレントⅣを構え、ダブルアクションで暗闇に連続してぶっ放した。弾が切れるとシリンダーがスイングアウトされて空薬莢がばらばら落ちながら消え、使用者の意思に従って再装填、スイングインされるや銃口が火を噴く――激高したリボルバーは、購入してイジゲンポケットにストックしてあった弾薬数十発が無くなったところでようやくおとなしくなり、銃声を耳にして何事かと寄って来た者たちを怒鳴り散らして追い払ったシンは、バイオレントⅣを握り締めて闇に喉を震わせた。

 

「……ぶっコロしてやればいいんだよ、そんなクソおやなんか! どいつもこいつも、くたばっちまえッ!」

「……うう……あああん……ああああんん……」

「ないてんじゃねェッ!」

「……だって、シンちゃーが……おこって……うわああん……」

「ちッ!……」

 

 壁をぶん殴るように舌打ちをしてシンが石垣の外に唾を吐いたとき、泣き声が突然凍り付き、間も無く空間が上下に震え始めて、闇の彼方から鳥獣、そしてそのどちらともつかないおぞましい鳴き声が入り乱れて押し寄せる。

 空間震――

 世界の震えは、流動の影響を受けにくいフェイス・スポット上にある遺跡でも感じられ、よろめきながら足を踏ん張るシンの横でジュリアが悲鳴を上げながらピンクのくしゃくしゃ頭を抱えた。幸い揺れはひどくならずに収まり、どろどろ揺らめく闇から響く鳴き声もやがて静まって、シンたちの後方でざわめきのさざ波が聞こえるだけになった。

 

「……もうオサまったぞ……おい、もうオワったんだよ」

 

 何度も声をかけるが、少女は丸まったままぶるぶる震えるばかり。仕方なくシンが足の甲で軽く右太ももを蹴ると、ジュリアはシャボン玉が割れたみたいにビクッとはじけてきょろきょろした。

 

「オワったっていってんだろ。いつまでビビってんだ」

「……あ、う、うん……」

 

 頭を上げたジュリアは空間震の余波で波打つ闇にぎょっとし、立ち上がってシンの右腕をつかむと石垣の内側にグイッと引っ張った。

 

「こんなとこいたらあかんよ。あっちいこッ!」

「お、おい、ひっぱんなっ――うわっ!」

 

 引っ張られたシンはよろけ、腕をつかんだまま飛び降りたジュリアともども小石が転がる地面に左手や膝を突いた。

 

「いったあ……ひどいわ、シンちゃー」

「なにいってんだ。テメーがひっぱったからだろうが……」

「そやね。かんにんな、あはは」

 

 ジュリアはあっけらかんと笑って立ち上がり、両膝を手でさすった。弱いながらもバリアが張られていたので、すりむいたりせず軽い打ち身で済んでいた。そして、ジュリアは遺跡南側に広がる光景――壁や建物の形をほとんど残さず崩れ、八割方土台が残るばかりの石積みにもたれてうな垂れたり、あるいは人目もはばからずに地面にごろっと横になったりした若者たちが赤橙色の光に照らされている様を緩く口を開いて眺め、ほんのり赤らんだ顔に恐れの色を混じらせた。

 

「……ひがもえてれば、クモバッタはきぃへんて、ほんまなんかなぁ」

「そーかもしれねーが、きえたらまたオソってくんだろ。いつまでもこんなふうにもやしていられねーからな」

「ええっ、そーなん?」

「そばでおっきいコエだすなよ! あのなあ、もやしつづけるにはポイントがいるんだ。それがなくなったら、おしまいなんだよ」

「ど、どーするん?」

「しらねーよ。ま、またくるんなら、カタっぱしからブッころしてやるさ。オメーは、ニッタとかのそばにいてマモってもらえよ」

「シンちゃーも……」

「あん?」

「シンちゃーもまもってや……」

「は? なにアマえてんだ、オメー」

「……だって、うち、ムシがきらいなんやもん! おそといるとき、とんでくるんやもん! ぅあああん……」

「だぁーっ! なくんじゃねーよ、うっとーしい!」

「だって……ムシ、ムシ、うわぁあん……」

「……はぁ、わーったよ。オメーにギャーギャーさわがれんのは、タマんねーからな」

「ジュリ……」

「なに?」

「オメーじゃあらへん。ジュリってよんでや。ぐすっ……」

「ちっ……」

「うち、オメーとかテメーじゃあらへんもん、ううっ……」

「あーあー、ジュリ、ジュリ、ジュリ、ジュリ、ジュリ! それでいいんだろ!」

「ぐすっ、えへへ……」

「ちえっ、チョーシのいいヤツだな。ったく……」

 

 ため息をついたシンは、雨雲が晴れてのぞいた笑顔に微苦笑した。それは、生まれて初めて彼の心がやわらいだ瞬間だったのかもしれなかった。