REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©永都由崇

Overture 揺らぐ世界(1)

 

 世界が――世界そのものが陽炎かげろうのごとく揺らめき、流れていた。

 不意に木々が鉛色の空に伸ばした稲妻状の枝をざわめかせ、緑の牢獄といった感の森全体が陰湿なにおいとともに震えて、断末魔の叫びに似た鳥獣の鳴き声があちこちから響く。

 

「――地震……じゃな、いッ……!」

 

 よろめき、傾いた体が及び腰になって、どろどろ流れる地面に下ろされた右手指がうろたえながらいかりの役を果たそうとする。ありきたりな黒髪頭やネイビーのブレザー、グレーのスラックスを空間のうねりになびかせた中肉中背の少年はバランスを崩して下生えの上に尻もちをつき、身をくねらせながら近付き、遠のき、視界を横切って流れて行く常緑樹の群れにすくみながらうっそうとした樹海の奥や枝葉の影におびえた目をさ迷わせた。

 震動――そして流動――大地とその上に立つもののみならず、空間それ自体を震わせ、どこへともなく流そうとする奇々怪々な現象――

 

「……なっ、何なんだよ、これは!……」

『〈空間震〉です』

 

 奥二重の目がにらむ空中で、バレーボール大の光球がきらめきながらそっけなく答える。世界が揺らいで荒れ、尻をついた少年が空間ごとたゆたう中、実体のない黄金色の光球はその作用を受けずに超然と浮かんでいた。

 

『――震動のエネルギーはヴァイオンジ4。じきに揺れは収まりますが、刺激を受けたモンスターが凶暴化している可能性があります。直ちに武装することをお勧めします、斯波しばユキト』

「お前……!」

 

 眉根を険しく寄せた少年――斯波ユキトは、揺れが徐々に収まって空間の流れがさざ波レベルになったところで恐る恐る立ち上がり、じわじわと流れ続ける地面を黒革のローファーで踏みつけて、3,4歩ほど離れた位置、頭一つ分ほど上の高さの光球に声を荒らげた。

 

「ワンとか言ったな、お前。僕は、こんなゲームをやるつもりなんかないって言ってるだろ! さっさとこのゾーンからジャンプする方法を教えろよ!」

『このゾーンから出ることはできません』

「ふざけるなっ!」

 

 怒りでむかれた目の前に3Dウインドウが出現して画面がパッパッと切り替わる。この世界から出ようという意思に応じてコマンドが入力されるものの、エラー表示がむなしく繰り返されるばかりだった。

 

「くっ……!」

 

 右手で前髪をかき上げ、頭頂部を押さえてユキトはうなった。いつもなら望むだけでサイバースペースに星の数ほど存在するゾーンからゾーンへ自由に移動し、そしてリアル――現実世界に戻ることができるはずなのに――

 

「――どういうつもりなんだよ? いきなりこんなゾーンにトバして、しかもこの姿はリアルの姿そのまま――ノーマル状態じゃないか! ゲームの勧誘か何か知らないけど、人の個人情報を勝手にむき出しにするなんて!」

『そのような些事さじを気にしている場合ではありません。今の無防備な状態では攻撃を受けた場合、その体――〈アストラル〉が深刻なダメージを受ける恐れがあります。速やかにポイントを使用してバリアを強化し、装備を整えた方がよろしいでしょう』

「ちゃんと答えろよ! 何が目的なんだよ!」

『先程から申し上げておりますように、サポート・ソフトウェアである私のアドバイスを受けながらここで生きていただくことです』

「いい加減にしろよッ!」

 

 怒りに任せて飛び出した右こぶしが3D映像をすり抜け、流動にあおられ、地面の流れに足を取られたユキトは危うく転びそうになった。シミュレーテッド・リアリティ・テクノロジーの進歩によって第二のリアルに進化したサイバースペース〈ワールド〉に飛ばしていた自分の精神そのものであるアバター〈アストラル〉が突然強制転送され、気がついたときにはこの樹海に倒れていて……そして目覚めた自分の前に現れたワンと名乗る人工生命〈Artificial Life〉にこの世界で暮らすように指示され、いくらジャンプを試みても脱出することができない状況がユキトを攻撃的にさせていた。

 

「……くそっ、ALのくせに――うわっ?」

 

 転びそうになった羞恥からいっそう強くこぶしを固めると、視界にいきなり羊皮紙デザインのウインドウが開き、一帯を俯瞰した3Dマップがユキトをディフォルメしたキャラクター・アイコンを中心に表示される。

 

「……な、何だよ、これ?」

『これは地図アプリ〈ヘブンズ・アイズ〉です。周辺の地形や天候、流動の情報に加えてモンスター等の位置も表示します』

「地図って……この辺り以外ぼやけているじゃないか」

「ご心配には及びません。足を踏み入れればクリアに表示されるようになります。現在近くにモンスターはいないようですが、油断は禁物です。この森に生息しているモンスターの中には強力な種類もいますので』

 

 さらにワンはもう一つウインドウを出現させて見せた。パーソナル・インフォメーションと表示された画面には、ユキトの氏名、年齢、身長、体重から血統といった個人情報がまとめられた〈プロフィール〉、生命力を数値化している〈ライフ〉や〈装備〉、〈所持品〉等とともに〈所有ポイント〉という項目があり、勝手に選択されて開かれた画面には10000ポイントと表示されていた。

 

『――あなたの所有ポイントは10000ポイントです。このポイントを使用して敵に備えて下さい。このゾーンではアストラルが現実の肉体と同じに設定されていますので、傷付けば痛みを感じて血が流れますし、後遺症が残るような重傷や致命傷を受ける可能性もあります』

「しつこいな、お前!……」

 

 反発するユキトの右手がそろそろと上がり、赤ネクタイとブレザー左胸の校章にかけてを不安げに押さえる。アストラルが損傷するのは、精神がダメージを受けるのと同義。それゆえワールドではアストラルを事故や事件から守るためにワールド・ポリスが公共スペースのパブリック・ゾーンはもちろん、グルメ、ショッピング、アミューズメント、ソーシャル・ネットワーキング等あらゆるサービス・ゾーンで目を光らせ、暴力がメインとなるアクションやシューティング、ロールプレイング系等のSRG――シミュレーテッド・リアリティ・ゲームのゾーンでは、どんな攻撃を受けてもアストラル自体は傷付かないようにプログラムを組んで設定することが運営会社に義務づけられていた。

 

「……どうせはったりだろ。危機感をあおる演出としては最悪だよな」

 

 強がって見せるユキトの脇の下が汗で湿り、生唾を飲み込んだ喉がごくんと鳴った。いつもとは明らかに違う、リアルボディのそれと変わらない心臓の鼓動や内臓の活動、血肉の感覚が顔をこわばらせていた。もしアストラルが回復不能なダメージを受けるようなことになったら、このゾーンから脱出してリアル――ネットカフェのシングル個室席でワールドに飛ぶための機器〈WTDrive〉を耳にはめ、椅子の背にもたれている肉体に戻れたとしても精神に重い障害が残ってしまうし、万が一致命傷を受けるようなことがあれば――それを想像して血の気が引いたとき、ウインドウに表示されていたポイントが減少して全身が光に包まれ、右腕が少し重くなった。