読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©永都由崇

Mov.48 世界フィーバー(3)

TEM†PEST

『何をぼんやりしている! 早く手を貸すんだッ!』

「だ、だけど、これって仲間割れじゃないですか?」

「そうですよ」と、同じくコネクトされた紗季。「助けてもらった借りは、さっきの戦いでチャラなはずです。これ以上利用されたくありませんよ」

『分かってないなァ!――』

 

 ドッペルアドラーを振り回して刃をはじき、クォンは語気を荒げた。

 

『――傍観なんてしていたら、どっちが勝っても立場が悪くなるんだぞ! さっさと付く側を決めろッ!』

『ユッキー!』

 

 乱戦越しに響く、甘々な声。

 

『――そこからコリア・トンジョクの背後を突いちゃってぇ! そしたら、ハイパーにかわいがってあげるよー!』

「た、高峰さん……!」

 

 誘いが頭の中で反響し、理性を乱してぐらつかせる――さらわれそうになったユキトは眉間に溝を刻み、左手をググッと押し当てた。

 

「……そんな話には乗らないぞ……! 乗るもんかッ!――」

「ちょっ、斯波っ?」

 

 飛び出し――ユキトは奮戦する韓服姿の間を駆け、プロテクター胸部を紋章ごとパンチで砕いてふっ飛ばしたのを皮切りにガーディアンを次々殴り倒した。そうでもしていなければ、ルルフに飲み込まれてしまいそうだった。

 

「――んッッ?」

 

 頭上に獰猛な殺気――飛びのいた直後、蹴った地面が急降下して来た巨大鉄球のごとき一撃でズガァッッと陥没――空間を砕き散らす勢いでたたみかける右フックをかわしてユキトは間合いを取り、鼻息荒い筋骨隆々の巨漢に光を燃やして対峙した。

 

「なかなかやるなッッ! 斯波ッッッ!」

「北倉さん……! 仮にも同盟を結んでいたのに、こんなせこい真似して恥ずかしくないんですかッ?」

「ゴッデス・ルルフ様は、いつも10000%正しいんだッッッ! 侮辱は絶ッッ対に許さないぞおッッッッッッ!」

「狂ってる……!」

「黙れッッッ! 行ッッくぞぉッッッ、斯ィ波ァァァッッッッ!」

 

 赤ゴーグル越しの眼球に血管の稲妻を走らせて叫び、北倉ロベルトはショベルカーを連想させる一対の巨大な鋼のこて――メガ・ナックル・ガントレットを再びこぶしにして猛然と繰り出す。迎え撃つ魔人のこぶしとの壮絶なラッシュ――乱打の衝突が空間を激しく波立たせ、争い渦巻く峡谷を揺さぶる。

 

「――くッ!」

 

 押され、ユキトはまるで大津波を相手にしているかのような凄まじさに焦りを覚えた。金色にきらめき、実際以上の巨大さを感じさせるハイパーゴッデス号――そのベランダに立つゴッデス・ルルフが放つ力と一つになったような、異様なプレッシャー――

 

「――何なんだ、このパワーッ?」

「ゴッデス・ルルフ様に歯向かうヤツはッッ、地獄に落ちろォォッッッ!」

「――加勢してやるよ、斯波ユキトッ!」

 

 猛り狂う鋼の巨拳に横から火炎弾がドドドドドッッとヒット――気が乱れた巨体にクォンがATVをドゴォッとぶつけてぐらつかせる。その隙に体勢を立て直し、ユキトはこぶしの光を燃え上がらせて間合いに踏み込み――

 

「――うおォオオオオオオオオッッッッ!」

 

 ブレイキング・バッシュ――左胸に紋章のワッペンがある金のレザージャケット、その下のミノタウロス顔負けの肉体をめった打つ光――うめいてよろめくところへダメ押しに渾身のブレイキング・ソウルが叩き込まれ、強烈なストレートをみぞおちに食らって失神した北倉の図体が仰向けにドォンとぶっ倒れる。

 

「やったな、斯波ユキト!」

「クォンさん……」

『ユッキー!』斜め上方からとどろく、いら立った声。『いつまでもきかん坊してると、ルルぷんすかしちゃうよっ!』

「そっちこそ大概にしたらどうなんだよッ!」

 

 はねつけ、ATVを乗り回すクォンと協力してガーディアンを蹴散らし続けるユキト――ルルフはうっすら赤らんだ頬をぷうっと膨らませ、血なまぐさい戦場を見下ろして息を吸うと、ラウドのスピーカーから一帯に大声を響かせた。

 

『みんなー! ルルにポイントをチャージしなさーい! ありったけだよー!』

 

 ハイパーディバイン!――100前後の口が腹から喉を震わせて叫びを重ね、交戦しながらポイントを送る。と、ベランダ上で輝きが急激に増し、神々しい黄金のオーラがズオオオッッと立ちのぼる。

 

『――ふふふ、来てる! 来てるよッ! ハイパーにッ! もっともっともっともっともっともっともっともっとォッッ!――』

 

 殺到するポイントをバックグラウンドのミラにチャージするルルフ――気おされて後ずさる鎌田の前で天のかがり火のごとく燃え盛る女神は、天衝く力のまましもべたちを鼓舞した。

 

『――ルルに逆らう者は、全員天罰てき面ッ! こてんぱんにやっつけちゃいなさいッッ!』

 

 ――ハイパーディバインッッ!――ツインテールたちの叫びがうねりとなって峡谷を、一帯を凶暴に揺さぶる。ハイパーディバインッッ!――ハイパーディバインッッ!――ハイパーディバインッッ!―――――――

 

「――うっ、な、何だ?」

 

 アサルトライフルで殴りかかるガーディアンをよろけつつ殴り飛ばし、ユキトは縦横じゅうおうにシェイクされながら光の柱――ハイパーゴッデス号ごと輝くゴッデス・ルルフを仰いだ。その現象は、まるで世界が彼女に熱狂しているかのようだった。

 

「――ど、どういう力なんだっ、これっ?」

「斯波っ!」

「し、篠沢!」

 

 振り返ったユキトの袖を右手で引っ張り、紗季はブレイズウインドを握る左手を振った。

 

「やばいよ! 下がろう!――クォンさんも、みんなに下がるよう言って下さい!」

「バカな! こんなこけ脅しなんか――」

『――イッくよォォォォォッッッ! 〈突撃GO TO HEAVEN〉ッッッ―――――――――――!』

 

 ツインテール太陽が振られて歌声が噴き出すと、空間の震えがルルフたちと共振し、薄曇りの空が、両側にそびえる崖が、小石散らばる地面が、神聖ルルりんキングダム勢とともに怒涛となって押し寄せる。世界を巻き込んだそれは、オートマトンたちや逃げようとするコリア・トンジョクメンバーをATVごと飲み込み、クォンを、ユキトと紗季をとらえて熱情のままに押し流した――

『あれ』

短編小説

 ……始まりは昨年11月半ば、風が低くうなる週末の夜更け……――

 PCとつながったヘッドフォンを外してキーボードの脇にコトッと置き、わたしは薄闇で発光するディスプレイの前で感涙を指で拭い、鼻水をすすっていました。人と異種との出会いと共生の物語――わたしのお気に入りのテーマの一つ――余韻がいくらか引き、幕が下りた画面の隅に濡れた目をやると、時刻は午前2時近く。もう寝なきゃ――PCをシャットダウンしたわたしは真っ暗な部屋を慣れた足取りで歩いてベッドに潜り込み、明日は友だちと遊びに出かけて、夜一緒に勉強するんだと予定を確かめてうとうとし始めました。そのとき、壁越しに妙な音が聞こえるのに気付いたんです。

 ざらついた舌でなめ回すような、無数の肢でガサガサ這うような……うまく表現できないけど、耳をかすめただけで全身の神経が末梢まで茨に変わって筋肉がひきつらずにはいられないような、とても気色の悪い音が聞こえる隣……そこはあの人――兄の部屋でした。階段を上がってすぐのわたしの部屋の隣、奥で向かい合っている父と母の部屋の手前……

 何、この音?――

 うっすら吐き気を覚え、わたしは壁を背にごろっと寝返って掛け布団を頭に被せました。やりたいことがまだ見つからないからと高校卒業後、進学もバイトもせず家にいて、日がな一日スマホをいじるか寝ているかだけのあの人……始めの頃は両親も苛立たしげにうるさく言っていましたが、そのたびに兄は閉じこもって、しかもだんだんその時間が長くなっていき、1年以上経った今は深夜自室を出てトイレ、それから冷蔵庫の食べ物――母が仕方なく兄分として買って入れておく出来合いのおにぎりやパン、弁当など――をあさって戻るだけになったので、わたしたちの方もさじを投げて無視するようになっていました。

 ――いったい、何してるの?……

 掛け布団をかぶってもなお、鼓膜を微かに震わす不快な異音……不気味過ぎるためにかえって確かめずにはいられなくなったわたしはそっとベッドを出、外開きのドアをスローモーで開け、忍び足で隣に近付くとドアに耳を当てました。

 ――うわッ!……――

 よりはっきりと聞こえる音にのけぞり、背中を曲げ、口に手を当てて吐き気をこらえたわたしは戻ろうかとも思いましたが、勇気を振り絞って恐る恐る、かすれ声でドア越しに兄を呼んでみました。

 すると、音はぴたりと止まりました。

 そこでやめておけば良かったのかもしれません。

 でも、音が止まったことでわたしはちょっと大胆になり、ドアノブに手をかけ、こわごわと手前に引いてしまったんです。

 ――ッ!

 化学の実験で嗅いだ悪臭が可愛らしく思えるような、すさまじい刺激臭が鼻の奥をズグッと突き、ビクッと手を止めさせました。全身がこわばって息苦しくなり、冷たい汗がじわっとあふれて――でも、何が起きているのか知りたいという思いに押されてわたしは体をギチギチ動かし、5センチほど開いたドアの間から真っ暗な室内に目を凝らしましたが、兄の気配はおろか、音の正体を突き止めることもままなりません。警告するように早鐘を打つ動悸――しかし、今さらやめられなかったわたしは、隙間から手を差し入れてドア脇の壁をまさぐり、照明のスイッチに触れるとそれを入れました。

 瞳を焼くように明かりがつき、あらわになる兄の部屋――

 冬用掛け布団がだらしなく乗ったベッドの上やその周りに空き袋、空の弁当容器、使用済みのティッシュなどが捨てられ、床のあちこちで重なり、崩れたマンガが埃をかぶる汚部屋――兄はどこかと捜したそのとき、鼓膜から脳に突き刺さった鳴き声にわたしは目を上げ、天井から飛んだ『あれ』を見て――



 ……気付いたとき、わたしは1階のリビングにあるソファで横になり、父と母に見下ろされていました。顔が青ざめ、ガチガチにこわばった両親から聞いたところによると、異様な鳴き声を耳にして部屋から飛び出した2人は気を失って倒れているわたしを見つけ、そしてドアの隙間から『あれ』を目にして腰を抜かしたのだそうです。へたり込んでいる間、『あれ』は狂ったように壁や家具にぶつかりながら室内を飛び回り、そして偶然照明のスイッチに当たって明かりが消えると闇の中で狂気が静まったので、それでどうにか父がドアを蹴って閉め、母と一緒にわたしを抱えて下に運んだそうです。

 わたしは『あれ』を思い出し、身震いしました。

 すると、両親が『あれ』のことをおぞましそうに語り出しました。しかし、ドアの隙間からだったせいか、わたしと父と母とが記憶している姿はそれぞれ違っているようでした。共通しているのは、思い浮かべているうちに毛穴から脂汗がジュクジュクあふれ、すさまじい寒気で体がガタガタガタガタ震えて倒れそうになるくらいおどろおどろしい存在だということ……そして、『あれ』の正体……他人には理解できないでしょうが、わたしたちはそれぞれ確信の度合いに差はあったものの、自然に関連付けていたんです。『あれ』は兄――兄が変わり果てたものに違いないと……




 その夜から、わたしたちと『あれ』との生活が始まりました。

 食べ物を求めてドアを開けることもなく、かといって飢え死にもせずに生き続ける『あれ』は光が嫌いらしく、雨戸とカーテンが閉め切られたままのじめっとした部屋の中で時折動くくらい。一日中明かりがつけられている廊下に出て来ようとはしませんでした。

 家の雰囲気は、一気に荒みました。

 もともと両親の仲はあまり良くなく、家族はほとんどバラバラでしたが、サラリーマンの父は帰宅が前よりも遅くなり、帰って来ない日も多くなりました。家にいるときは1階のリビングのソファで眠り、母や私を頻繁に怒鳴っては天井――『あれ』がいる部屋の方を憎々しげににらんでいました。

 母は体調を崩してスーパーのレジ係のパートを休みがちになり、心療内科クリニックに通い始めました。わたしも冬の薄暗さと身を切る寒さもあって毎日ひどく憂鬱で頭がとても重かったのですが、来年は受験でしたし、家にいるよりはマシだったので学校には体を引きずって通いました。授業に集中していると家のこと、『あれ』のことを忘れられましたが、ふとした瞬間――二次不等式の問題に苦心しているときや棒高跳びでマットに落ちて薄曇りの空が目に入ったときなんかにそれらがゴボゴボッと浮かんで顔をゆがめました。

 そんな思いをしていたわたしたちでしたが、家を離れることはできませんでした。ローンがかなり残っていましたし、もし家を売るとなったら『あれ』が問題になってきます。わたしたちには――変わり果てたとはいえ『あれ』を兄と結び付けていたわたしたちには、『あれ』を表に出すことはできませんでした。それはどんなにものすごい恥をさらすより遥かに苦痛だと思えましたし、目にした人たちが『あれ』をどうするか分からないという恐れもありました。何よりわたしたちは、考えることさえも拒んでいたのです。

 『あれ』が兄とは一切関係がない、ただの『あれ』だったら……

 そうしたらこんなにも苦しむことはなく、きっと父は怒りに任せて部屋に乗り込み、殴り殺していたかもしれません。でも『あれ』は兄だったから、わたしたちはギリギリのところで踏みとどまっていたんです。

 そんな訳で『あれ』は放置され続けました。両親はあの部屋に極力近付かず、わたしも自室にいるときは隣から物音が聞こえないようにヘッドフォンをして音楽を流し続けながら勉強し、眠るようになったんです……



 ……だけど、わたしはそんな自分が嫌だとも思っていました。

 確かにわたしたちは苦痛を味わっています。『あれ』のことをちょっと意識するだけで胸がものすごく悪くなり、両親はいつもイライラ、欝々。家庭環境はメチャクチャです。

 だけど、よく考えてみると『あれ』がわたしたちに危害を加えた訳じゃないんです。

 家計を圧迫したり他人に迷惑をかけたりもせず、閉じこもって生きているだけ。ギャンブルにのめり込んだり暴力をふるったりするような家族より、よっぽど無害なのかもしれません。醜貌と悪臭は問題ですが……そう考えると何だかかわいそうな気がしたわたしは、どうにか穏やかに暮らしていけないかなと思案するようになりました。それは、私が見てきた異種との接触と共存の物語の影響でした。



 年が明けて冬が終わりに近付いた頃、わたしはヘッドフォンを外して過ごす努力を始め、隣の部屋にいるのは物語に登場するイケメン異星人やカッコかわいい獣人、神秘的な生命体とかなんだと自分に言い聞かせました。最初はつらかったですが、わたしは歯を食いしばりながら外している時間を少しずつ伸ばしていき、そして壁に向かって声をかけ始めました。おはようとかおやすみとかそんな程度でしたが、わたしは異種に歩み寄ろうとするヒロインになったつもりで根気よく続けたのです。

 そうした行いを両親に話しはしませんでしたが、何となく家の空気に影響を与えたのかもしれません。母の鬱症状はいくらか軽くなり、父のいら立ちも少し落ち着いた感じがしました。時間が経つにつれて両親も少しずつ『あれ』を気にせず生活できるようになり、家の中に重くよどんでいた濁りが徐々に薄れていくようでした。わたしは良い方向に動き出しているんだと思い、内心喜んでいました。あのときまでは……



 ……事件が起きたのは『あれ』との生活が始まってから10ヶ月くらい経った、蒸し暑い夏のある晩でした。夏休みの終わりが近付いていたので、わたしは新学期に備えて参考書とノートを机いっぱいに広げ、ヘッドフォンをつけて気分を盛り上げる音楽を流しながらガリガリ勉強していました。一段落付いたところで喉の渇きに気付き、手元のペットボトルが空になってしまっていたので、わたしは下のダイニングキッチンに行って何か飲もうと部屋を出て、思わず立ちすくみました。

 隣の部屋のドアが、半分ほど外側に開いていました。

 あの日からただの一度、ほんの一ミリだって開かれたことがないドアが……!

 ……まさか……でも、廊下の電気はいつものようにつけっぱなし……そんなはずは――

 頭がぐらぐらし、毛穴から汗がどっと噴き出して体がぶるぶる震えました。毎日壁越しに声をかけていたのに……わたしは胃袋からこみ上げるものをこらえ、意識の暗闇から浮かび上がってくる『あれ』の姿を映画やアニメに出て来る異種のイメージで必死にオーバーライトすると、息を殺してドアに忍び寄りました。ドアからすぐのところは廊下の照明の光が差し込んでぼんやり見えはするものの、そこから先は真っ暗なので『あれ』が中にいるのかどうか分かりません。だからといって、あのときのようにドア横の照明のスイッチに手を伸ばすことができなかったわたしは、ひどくなる動悸を落ち着けようと都合良く解釈しました。きっと長いこと閉じこもっていたから、たまには空気の入れ替えをしたくなったんだろう、なんて……

 わたしは中にいるはずという前提でドアノブに手をかけ、そっと押しました。

 ――チャッ

 ドアの閉まる音がいやに大きく響き、わたしは吹っ飛ぶように階段の方へ飛びのきました。閉められた部屋からは、何の反応もありません。わたしは胸を撫で下ろし、いっそう乾いた喉を潤そうと顔や首筋の汗を手で拭いながら薄暗い1階へと階段を一歩一歩下りました。すると、ダイニングキッチンに続くリビングのドアが見え、その向こうからソファで寝ている父のいびきが聞こえました。それに心強さを覚えたわたしは1階廊下の照明をつけ、父を起こさないように気を付けてドアを開けたところで悪臭に鼻の奥をえぐられ、胸をドンッとぶん殴られたようなショックを受けて硬直しました。

 『あれ』が――『あれ』がいたんです! 父が下着姿で眠っているソファのすぐ横、わたしからほんの2、3メートルの距離に!

 廊下の照明の光をうっすら浴びて浮かび上がるその姿――はっきりと覚えてはいなかったけれど、以前見たときよりも醜く成長しているように思われるそれは、何も知らずにいびきをかいている父の横に立っていました。

 わたしは、絶叫しました。

 仰天して飛び起きた父はすぐ横にいる『あれ』に気付いて半狂乱になり、ソファの背もたれを乗り越えて後ろの床にドタッと落ちると、そばにあった木製のダイニングチェアを反射的につかんで殴りかかっていきました。直撃を受けた『あれ』からどす黒い粘液がバアッと噴き出し――それを浴びて全身黒く汚れた父は発狂した猿のごとく叫び、何度も何度も何度も、繰り返し、繰り返し殴り付け、それをわたし、そして騒ぎを聞き付けて下りて来た母は戦慄しながら凝視していました。飛び散るどす黒い粘液で衣服や肌を汚しながら……



 ……それからどうなったか……気を失っていたのか、記憶が欠落していて思い出せません……覚えているのは両親が汗だくになりながらリビングを掃除している光景で、そのときにはもう『あれ』もどこかに消えていました。

 そして、数日のうちに汚れたソファなどの家具や壁紙はすべて取り返られ、表面的な平穏が戻りました。父は出勤のため朝早く最寄り駅まで歩き、夜8時くらいに帰宅、母はレジ係のパートを再開、わたしは大学受験に向けて勉強に励み、放課後は図書館で自習したり塾に通ったりする生活――2階の空き部屋は閉ざされたまま、まるでそこにドアも何も無いように両親は前を通り過ぎます。2人は『あれ』が兄ではない、兄はとうの昔に死んだのだと無理矢理思い込もうとしていました……わたしもこの家で起きたことを忘れてしまいたいと思うことがあります……でも――




 ――進路を変更したわたしは、今、受験勉強の追い込みに入っています。ヘッドフォンを外していても隣からは物音一つしません。

 『あれ』――兄はもういないのです。

 それを思うたび、胸がひどく締め付けられ、涙があふれてきます。

 間違っていたのです、わたしたちは。

 閉じ込めて無視することに慣れてしまうのはもちろんですが、勝手なイメージを投影するのも愚かなこと……『あれ』は『あれ』であって、大衆向け作品に出てくる異種のようにしょせん受け入れやすく作られているものとは決定的に違うのに……わたしたちがそんなことをしている間に『あれ』はより醜く成長し、ついには部屋を抜け出して……わたしは、あのとき父を止めることさえ……きちんと向き合っていたなら、あんなふうにフリーズはしなかったでしょう……自分たちから見てグロテスクだからと排除していたわたしたちこそ、本当に醜悪な怪物ではないでしょうか……だからわたしは、人々が異なる存在と共生していくために役立つ仕事に就きたいと思うようになったんです。もし……また『あれ』が現れたときのためにも――

マホウのころも

短編小説

 “楽園”――失われたパラダイス――

 

 暗い洞窟の奥に描かれた拙い壁画、あるいは昔話が伝える地上の天国――それらしい遺跡や遺物が発見されるたび世人を色めき立たせるその国では、夜を退けて燦然と輝く都に林立する塔が天を衝き、人びとは神さながらの力を操って何不自由なく暮らしていたという。

 

 その楽園がなぜ消えたのかは分からなかったが、憧れを募らせた人びとは自分たちが操る“マホウ”の力を高めて伝説に劣らぬ壮麗な都をあちこちに築き、そして、あらゆる望みをかなえる“マホウのころも”を生み出すに至った。

 

 マホウのころも――これこそマホウの最高傑作であり、楽園への切符だった。

 

 なにしろその光るころもで裸体をすっぽり包めば、マホウの力で全知全能になれるのだから。

 

 思いのままに姿を変えて大空を、さらには星の海を飛び回り、深い海の底に潜ることもでき――

 

 恐ろしい獣に出くわしたなら、怪物さながらの力で八つ裂きにし――

 

 星の裏側で起きていることをすぐに知り、世界のあらゆる知識に精通し、森羅万象の摂理を解き明かすことができ――

 

 欲した物がたちまち手や腕の中、あるいはころもの内側に現れ――

 

 望み通りの夢を見て、においも感触も何もかもが本物の幻と戯れることができ――

 

 まとう者を不老不死にさえするころもの話は世界中を駆け巡り、人びとは――全財産をはたき、借財をしてでも――我も我もと求めた。初めのうちは希少で手が届きにくかったころもも、多くの作り手が作り方を知って熟練するとたくさん出回って入手が容易になった。それでも買うことができない貧民には、慈善家が憐れみや善意からころもを配った。

 

 一方でころもに否定的な人びともいた。ころもに包まった生き方を堕落と考える者や、みんながころものためにマホウを過剰に使うと、星に悪影響を与える可能性があると警告する者たちである。

 

 しかし、水の低きに就くがごとし。否定的だった者たちも幸福を享受したいという欲求に逆らえず、1人、また1人ところもを手にして包まるようになった。頑強に拒んでいた者は、ころもの恩恵――不老不死――を受けられずに年老い、病に冒されて死んでいった。こうして世界の人びとすべてがころもに包まれたのである。

 

 それでも、当初はころもから出て過ごす時もあった。だが、それは次第に短くなってついには皆無になった。包まっていれば全身から栄養と水分を与えられ、老廃物は処理されるので出る必要はなかった。世界を駆け巡っていた者は、目的地まで移動する手間を惜しんで夢で代替するようになった。何しろ、ころもが見せる夢は現実と比べても遜色がなく、しかも、はるかに胸躍るものだった。それぞれが望む現実を夢で生きるようになった人びとは争うこともなくなり、際限なくマホウを使いながら各々の繭の中で楽園におぼれ続けた……








 破局は突然だった。

 

 ある日、何の前触れもなくマホウが失われ、ころもはただの布になった。

 

 人びとが投げ出された現実では冷えきった天から雹混じりの雨が降り注ぎ、大地は輝きを失った都をたびたび乱暴に揺さぶって、荒れ狂う海は波涛を砕きながら海岸線を浸食し続けていた。自分たちの星がそのようになっているなど、ころもにこもっていた人びとには知る由もなかった。

 

 みんながマホウを使い過ぎたせいだ――そう叫んで嘆く者もいたが、後の祭りだった。うろたえる人びとをよそにどす黒い雨雲の向こうで陽は消え、闇が都と世界を飲み込み始める。光をむさぼることが当たり前だった人びとはおののき、どこかに逃げようとしたが、足――のみならず全身がすっかり弱っていたので走るどころか這うことさえままならなかった。そのうち人びとはぶるぶる震えてくしゃみや咳を始め、ひどい高熱を出してバタバタと倒れていった。はやり病が虚弱な獲物をとらえて猛威を振るい始めたのである。

 

 あがく人びとは死んだ都に残る食料や医薬品を巡ってひっかき、かみつき合った。夢の世界で神のごとく振る舞ってきた者たちには、他人と手を携えることなどできはしなかった。そのような争いごと地震は都を崩し、津波はすべてを押し流した……








 ……長い、長い時を経て星は落ち着きを取り戻し、一握りの生き残りが原始の大地で命を増やし始めた。人びとはかつて存在した楽園とそれが滅びたいきさつを親から子、子から孫へと語り継いだが、いつしか耳触りが悪い部分とそこから導かれる教訓は嫌われて消え、美化された楽園への郷愁だけが残った。そして、若者たちは薪を食らう炎が照らす洞窟の奥で、狩りで仕留めた獣の脂と土を混ぜて壁一面にあこがれの楽園を描いた……

テンゴクジゴク

短編小説

 ……ハジメまして。スマホから送る、この動画メッセージをあなたが見てるとき、あたしはもう警察に捕まってるかもしれない。けど、後悔なんてしてないよ。あたしは決めたんだ。この世界に反逆の種をまいてやるってね。 

 

 ちょっと順序が逆になっちゃったけど、自己紹介させてもらいます。髪が乱れてメチャクチャなうえに顔も汗とか涙で汚れててハズかしいんですけど、ま、しょーがない……あたしは坂川さかがわきるか、××在住の高校三年生。高校三年なんて言うと、こんなことをやったのは受験のストレスが原因とかって考える人がいるかもしれないけど、そんなのは全ッ然カンケーないです。あたしのことを分かってもらうために少し自分語りしますけど、あたし現代文と評論と、歴史が少し分かるくらいで、後はゼンメツだったから、別にリッパな大学に行って勝ち組な就職しようとか考えてなかったし、そもそも一生無職だろうと何不自由ない生活が保障されてる社会だから、落ちこぼれたってどーってことないしね。そんなこともあって、学校に行ってたとき、あたしはずーっと机に突っ伏して寝てました。正直、あの頃は生きてるのさえダルかったし、友達なんて1人もいなかったから。

 

 そんなあたしに、教師やクラスメイトはダクダクあふれまくりの愛情を押し付けてきた。あなたにも同じような経験があるかもだけど、あたしの場合、授業中なら教師が数分ごとに背中をイヤらしくさすりながら甘い声でいたわり、休み時間になったら担任を先頭に、病欠している以外のクラスメイト全員、そして他のクラスの生徒――ときには下級生たちまでがあたしの机を取り囲み、体調を気遣って看病しようとしたり、授業内容をバカなあたし用に幼稚園児でも順を追って読んでいけば理解できそうなレベルにまとめて渡そうとしたり、グループで応援のメッセージやコーラスを披露する連中もいれば、良かったらハイヤーを呼んで家まで送ってあげるとか、気晴らしにって小遣いを何万もくれて、ついでに色々なお勧めスポットの情報まで提供し、自分が案内してあげると申し出るウットーしい人もいましたっけ。

 

 こんな話を聞くと、愛されてるじゃーんとか思われるかもだけど、自分たちの善意とやらを押し売りするのはハッキリ言って、ただの暴力。あたしが必要ない、ほっといてといくら叫んでも聞く耳さえ持たずにワーワーガーガー一方的にわめき立てる……結局、あの人たちは異分子のあたしが怖かったのよ。だから、同じカラーに染めようと必死になったワケ……たまりかねて学校を飛び出しても、道で出くわす人たちがあたしの険しい顔を見つけて、まるで肉に食いつくピラニアみたいに「どうしたの~?」「大丈夫~?」とか言っておせっかいを焼く……ホンっとにタマんない……! 

 

 なぜ、こんな世の中になったのか……きっかけは〈世界横断大震災〉なんだよね。まだ歴史を詳しく知らない子のために少し説明しておくけど、あたしが生まれるよりも半世紀くらい前に起きた大災厄――大西洋沖で発生した大地震を皮切りに、まるで世界を横断するように連鎖的に起きた大地震とそれに続く大津波、そして火災などの二次災害によって全世界で数百万もの人間が死んじゃって、政治や経済が混乱して略奪が各地で起き、貧しい第三世界では僅かな水や食料を巡って紛争や虐殺も起きたんだよね。この国の人心も荒廃して、殺人や強盗といった事件が頻発したんだ。それは、とってもヒドいことだと思う。あたしがそう感じたように、やがて復興の道を歩み始めた人々も自分たちの過ちを振り返って深く反省し、生き残った者同士が手を取り合って共に愛し合い、いたわり合って生きていこうと決心した。きっと、そこまでは良かったんだ。そこまでは。

 

 だけど、未曾有みぞうの大災厄を経て自分の中にある闇を見た人たちは、それに対する反動で極端なシフトをしてしまった……復興のスローガンとして掲げられた愛と優しさは、いつしかそれを唱えた者たち自身を洗脳して操り始めた。基準も妥当性もろくに検証されず、しかも誰がそれを決めたのかあいまいなまま、共生の概念は歪みをエスカレートさせて誰も傷付かないユートピアを目指し、それに反する思想や文化、果ては一個人の言動さえ、野蛮、卑猥ひわい、暴力的で他人を害する危険があると思われれば、ことごとく抹殺するようになっていったんだ……

 

 初めのうちはそれに反発した学者や文化人もいたらしいけど、そうした反社会的思想家は大衆の非難を浴び、片っぱしから逮捕されて政府主導で創設された〈矯正院〉に送られ、再教育が施されることになった。あたしも昔、テレビで一度だけ見たことがある。手錠をはめられ、両脇を笑顔の警察官に挟まれた男――犯した罪状は分からないけど、目をつり上げてわめきながら警察車両に押し込まれたその男が、1カ月後にはまったく別人の穏やかな表情でマスコミの前に現れて、自分の過去の言動を懺悔ざんげして許しを請う映像を……誰が中心になったのかって言えば、表面的には政治家やマスコミのように思えるけど、そうした権力を動かしていたのは一般の大衆、何十億もの市民だったワケで、そうして今日、あたしたちが生きている恐ろしい世界が作り上げられたんだよね。 

 

 もっとも、あたしも小さい頃はこんな世の中が当り前なんだと思ってた。テレビをつければ家族愛や友情をこれでもかってくらいにたたえ、銃撃や殴り合いはおろか、暴言やエロいセリフの欠片もない極めて無害な映画やドラマ、ドキュメンタリーが流れ、CMも温もりだとか絆だとかを声高に叫ぶものばっかり。親たちは何不自由のない環境で子供を甘やかして育て、幼稚園や学校では勉強も運動も何も強制されず、ツライこともキビシイこともない。ただ、ユートピアの秩序のために愛だの優しさだのを交わし合うように洗脳だけはしっかりされる。他人を不快にさせる言動は封殺され、バカだのアホだのって言葉は道徳の授業で使用禁止用語として叩き込まれる。もし他人に悪口を言ったり、軽く叩いたりでもしようもんなら、たちまち満面スマイルの指導教師が飛んできて何時間も穏やかにみっちりと説教され、社会の常識とやらでがんじがらめに縛り上げられる……いつも笑顔を絶やさずに、人に優しくあれ……他人が不快になる、下品で野蛮な言動は絶対に慎むこと……愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛、優しさ、愛…………………………………

 

 幼稚園でも小学校でも、何度となく教育的指導を受け、密かに要観察対象児童のレッテルを張られてきたあたしはずっと自分を殺してきたけど、中学を経て高校に上がり、思春期も後半に差し掛かると、自分の心に芽生えて成長してきた違和感――ハッキリ言っちゃえば、反感ってのを押し殺すことが難しくなったんだ。いつもいつも、ヘラヘラユルユル生きている周りの人間に怒りを覚え、吐き気をもよおす学校からだんだん足が遠のいて、自宅では異常に道徳的で健全な番組ばかり映すテレビを足蹴にしてたよ。息苦しさにあえいだあたしは声を殺して何度も何度も叫び、あたしの野蛮な衝動に答えてくれるものを求めてネットをさまよったけど、伝説によれば、かつてはエログロナンセンスなアンダーグラウンドが不毛に広がって、匿名とくめい性をいいことに見ず知らずの者同士が誹謗中傷ひぼうちゅうしょうし合ったり、あるいは有名人や大企業をよってたかってコキ下ろして気晴らしをしたりっていうダーティさはもはや跡形も無く、純真無垢で清らかで、愛と優しさと思いやりにあふれたリアルの投影があるだけ。そんな現実にあたしは人知れず髪をかきむしって床に倒れ、モダえウナるイモ虫になって右に左にゴロゴロゴロゴロ転げ回った。例え反社会的と言われようとも、あたしは暴力を、破壊を渇望してたんだ。こんな無菌培養されたように潔癖で柔弱な世界だからこそ……!

 

 だけどそのくせ、情けないことにあの頃の臆病なあたしは独りじゃ何もできなかった。偏執的な愛と優しさに包まれている人々の大半はウフフ、オホホと四六時中気持ち悪く微笑んで天国ボケしていたけど、反社会的要素に目を光らせる連中――例えばネットワーク監視者や警察の奴らなんかには油断ができず、とみに取り締まりが厳しくなって厳罰化が進んだ今日じゃ、下手に暴言吐き、乱暴なことをヤラかそうもんなら、未成年のあたしでも通報、逮捕されて矯正院送りになっちゃう。だから、なおさら鬱屈うっくつしたあたしは愛と優しさをうたい、この世界で生きる人間すべてにその思想を強要しようとする空気が許せなかった。どうにかあたしを同類にしようとたくらむ教師もクラスメイトも、誰も彼もがムカついてたまらなかった。そしてとうとう引きこもったあたしに両親は、ただただ『愛している』『信じている』と猫なで声で呪文のように唱え続けたよ。それを繰り返していれば、あたしが救われるとでも思ってたんでしょ。生みの親にも失望したあたしは、暴れて物を散らかした部屋で悶々とネットをさすらい続け、そして、を目にすることになったのよ。

 

 あの日、あたしはいつものように日がすっかり暮れた頃にベッドから這い出し、惰性でパソコンを起動させて、とある動画投稿サイトをぼんやり眺めていたの。そこには、ほのぼのとした家庭のエピソードや爽やかなスポーツの動画といった代物が並んでいた。スポーツと聞けば、世界横断大震災以前は勝敗をかけて真剣勝負が繰り広げられていたらしいけど、今あるのは知っての通り、互いを愛し、いたわる精神の結果として、例えばサッカーはよちよち歩きから少し進歩しただけの幼稚園年少組の試合みたいな、言葉通りの〈玉蹴り〉競技に、バスケものろのろ歩きの〈玉入れ〉ゲームになり果てて、しかもみんなが仲良しでいるためにって点数も付けなければ勝敗も無い、まったくクソっ下らなくて超バカバカしい――っと、こんなヒドい言葉遣いしてると、免疫が無い人にはもしかしたら刺激が強すぎて最後まで見てもらえないかもですね。ま、ところどころの汚い言葉についてはスルーして下さい。

 

 あんまり時間もないから話を続けるけど、ともかく、そのときのあたしは相変わらずのゼツボーな気持ちで新着動画をぼんやりクリックして流し見てたんだ。三世代の家族が肩を組んで『世界中に愛と優しさの花を咲かせましょう!』と笑顔いっぱいで叫ぶホームパーティの動画を見終わり、ディスプレイを叩き割りたい衝動をどうにかこらえたあたしは弱々しく次の動画をクリック。〈心安らぐ自然百景パート②〉――そうタイトルが付けられた動画は、確かに日本各地の山や川、草原、花々といった自然の風景をまとめた、ひどく退屈なものだった。もしキモい笑顔を浮かべた人間がちょっとでも出て来たら、あたしはきっと電源コードを思いっきり引っこ抜いていたと思うけど、その動画はきれいな自然が映し出されていくだけだったから、あたしも何となくだらだら見続けてた。そして――再生時間が3分14秒に差しかかったとき、奇跡が……まさに奇跡が起きたんだ! いきなり画面が切り替わったかと思うと、頭に赤いバンダナを巻き、筋肉で張り裂けそうになったランニングシャツとズボン姿の、いかついマッチョ男が昔、博物館で見たことがあるようなマシンガンをけたたましくブッ放し、その銃弾を浴びる軍服の一団が鮮血を飛び散らせて断末魔の叫びを響かせ、派手に吹っ飛ぶ映像がいきなり映ったのよ! 大震災以前の古い映画らしい質感の映像世界で、狂気の笑みを浮かべた男はマシンガンを連射しながら聞いたことのない単語を雄叫おたけんだわ。そのときはFで始まるその言葉が分からなかったけど、後から仲間たちにそれが昔、言葉狩りで抹殺されたののしり言葉のキングだと教えられたよ。 

 

 突然襲ってきた、スンゴい衝撃――頭が狂いそうなほど求めていたクセに、何の前触れもなく降臨した神を前にして金縛りにあったあたしは目玉をむき、食道がのぞけるほど大口を開け、感電したように全身を震わせたわ。初体験のトンでもない暴力――戦慄と、それ以上の興奮に頭が真っ白になったあたしは、いつの間にか動画が終了して消えた黒い画面を見つめて放心状態になってた。 

 

 どうしてあんな……あんな動画があたしの目に触れたのか、正直あのときは分かんなかった。だって、動画投稿サイトはアップロードされたものを一コマ一コマ厳しく検閲にかけ、不道徳な要素や反社会的なシーンが混じっていないか確認してから公開するのが常識だもの。動画自体に細工されてたのか、検閲担当がいい加減な仕事をしていたのか……でも、そんなことはどーでもよかった。こんなものをアップしたら警察に追われる身になるっていうのに、その人は危険を顧みず、獰猛な暴力の結晶をあたしに見せてくれた……その痛快さにあたしは生まれて初めて心の底から大笑いしてのけ反った。椅子が後ろに傾いて床にドーンと倒れ、家中に響いた音に驚いて部屋に駆けつけた両親に戸惑った笑顔で見下ろされながら、あたしは床の上で腹を抱えて笑い転げてたっけ。

 

 笑って、笑って、笑って、ひとしきり大笑いして疲れたあたしは、どう接したらいいか判断しかねている両親に面白いコメディ動画があったのよとごまかして、そうか、あら、そうなのと微笑む両親を部屋から押し出した。そうして親を追っ払うと、あたしはすぐさま倒れた椅子を直して座るやリプレイしようとしたけど、さっきまであった〈心安らぐ自然百景パート②〉は跡形も無くなっていた。慌てたあたしはサイトの隅々まで目を皿にして何度も探したけど、どういうわけか影も形もなく、ひょっとして夢でも見たんじゃないかとマジうろたえたよ。

 

 たった一度、ほんの僅かな間だけ姿を見せて消えた神――たった一度だったからこそ、あの凶暴無比な映像は脳裏に焼き付けられ、あたしを激しくモダえさせてくれちゃいました。なんとか頭をクールダウンさせて、おそらくサイト管理会社に発見即削除されたんだと結論付けたあたしは、このサイト以外のどこかにもアップされていないかと考えて、全世界、ネットの隅から隅までくまなく探してやろうと最大手検索サイトを開き、そこの検索バーに〈心安らぐ自然百景パート②〉と打ち込んだの。すると、ウェブ検索結果画面の一番上に表示されたタイトルがピッタリそのまま〈心安らぐ自然百景パート②〉だったジャン! ああ、あの動画サイトだけじゃなく、他でもアップしていたんだ――あのときの興奮は、例えるとゲームのガチャで超レアキャラを一発ゲットできたときをはるかにしのぐと思うね。狂喜したあたしは両こぶしでほっぺをボコボコ殴り、確かな痛みで夢じゃないことを確認すると、深呼吸を3回繰り返して自分を落ち着かせ、タイトルをクリックしたの。

 

 だけど……そこに現れたのは何の変哲もなさそうな〈アザミンワールド〉って個人ブログ。あ然としたあたしは前の画面に戻って再度タイトルをクリックしたけど、やっぱり〈心安らぐ自然百景パート②〉は〈アザミンワールド〉にしかつながってなかった。あたしはどこかの記事に紛れて〈心安らぐ自然百景パート②〉のことが書かれてるんじゃないかと考え、職場の同僚とどこの店で何を食べたとか、大学時代の友人とどこに出かけて遊んだとか、およそあたしには面白くもナンともない記事をくまなく――といっても、まだほんの2カ月くらい前に開設されたばかりでそれほど記事も多くなかったんだけど、とにかくすべてに目を通したものの、結局、求めているものはどこにもなかった。

 

 落胆したあたしは天井を仰ぎ、魂が抜けるほど大きなため息を吐いて脱力した。それでも心は諦めきれずに激しく焦がれる。そんなに豊かでもない胸をわしづかみしたあたしは、視線を画面に戻すと、もう一度、ブログのトップページに目を凝らし、アザミンというブログ開設者のプロフィールをにらんでひらめいたのよ。この人に直接問い合わせてみようって――そして、すぐさま最新記事のコメント欄に『心安らぐ自然百景パート②希望します』とだけ書き込んだわ。へへ、今にして思えば、テンパった一方的なアクションでハズかしいけどね。そしたらビックリ! コメントをカキコして1分も経たないうちに新しい記事がアップされ、その内容にあたしは正直ビビったわ。

 

――『コメントをありがとう、選ばれし人よ。私は君のような人を待っていた。一緒に〈心安らぐ自然百景パート②〉について心ゆくまで語り合おう。明日16時、××駅前の〈Honey’s Coffee〉の一番奥のソファ席で待っていてくれ』――

 

 今さらだけど、何だかキザったらしいうえに、どうもウサン臭いよね。いきなりあたしを誘い出そうとするこの怪しげな人物。フツーだったら絶対乗らなかっただろうけど、そのときのあたしは胸躍らせてすぐさまコメント欄に『はい、喜んで!』と即レス。それが、あたしが革命の扉を叩いた瞬間だったよ。

 

 そして翌日――薄曇りのヴェール越しに西に傾いていく陽が差すカフェ、待ち合わせ時刻の2時間前に到着して指定された店内最奥のソファ席に座ったあたしは、ナメクジ並みにのろのろ進む時間にイラつき、鼻にかかった声でご機嫌をチョイチョイうかがってくる店員をテキトーにあしらいながら腕時計の秒針をにらんで早く動け、動けとキョーレツに念じていたわ。2時間が20年にも感じられる時間が過ぎてついに約束の時間になり、あたしはカフェの出入り口ドアを瞬きせずに見つめ続けた。そしたら視界の端に映り込んでいた、斜め前のテーブルに座ってスマホをいじっていた若い男がおもむろに立ち上がってあたしに近寄り、こう声をかけてきたの。

 

 ――『初めまして、選ばれし者よ』――

 

 目を見開いたあたしは、20代後半くらいの相手をマジマジと見つめた。少し影がある、どこか詩人を思わせる顔で鋭い意志を秘めたまなざしをぎらっと光らせる男性――それが彼、アザミンこと薊木貴史あざみぎ たかしさんだった……そして、あたしはいつの間にか彼の6畳1間のぼろアパートに上がり、デスクトップパソコンが占拠したローテーブルの横で彼の言葉を正座して聞き入っていたっけ……

 

 ――『人類は衰退している』――そう苦しげに吐き出した薊木あざみぎさんは、こぶしをわなわなと震わせて平均寿命が低下していることを挙げ、その原因が生命力の低下によるものだと説明した。大震災以前と比べて虚弱になり、病気や感染症に対する抵抗力が落ちているのだと。そう言えば、当たり前の光景になり過ぎていて深く考えてなかったけど、確かに幼稚園でも小中高校でもクラスの半分以上はいつも咳、くしゃみをして微熱があり、ひどい皮膚病やアレルギー疾患を患っている子もいたよね。しかもクラスの4分の1はだいたい病欠で、不幸なことにそのうちの何人かは毎年肺炎をこじらせたり、急速に進行したガンが原因であっけなく死んじゃってた。結婚率はほぼ100パーセントなのに出生率はどんどん低下し、人口減少が進んでいることにもあらためて気付かされたし、何よりもハッとしたのは、科学を始めとするあらゆる技術は大震災前のレベルからまったく進歩せず、それどころかシンプル化という言葉にすっかりゴマかされていたけど、なんと次第に退化さえしていたってこと! そうした兆しがいくつもあったのに、人々は――このあたしも問題意識を持っていなかった……恐ろしいことにあたしたちは、いつの間にか考える力さえも失っていきつつあったのよ!

 

『――考えてみなさい。異常な愛と優しさの下、闘争心を失い、傷付け合って悩み、乗り越える機会を奪われて、ぬくぬくとした環境に浸りきるだけの人間たちにどうして強さが備わると思う? 必要悪をすべて排除し、歪んだ楽園に囚われた人類が、やがて滅びていくのは必然なんだ』

 

 そう言って、薊木さんは怒る目を潤ませた。その黒く燃える瞳を見たとき、あたしは自分が本当に情けなくなったよ。ここ、ここに人類の行く末を心から案じている大人がいる。それに比べてあたしはビジョンも何も無く、ただ感情的に吠えているだけのつまらない子犬に思えたから。

 

『私は同志を探していたんだ』と、薊木さんはあたしの手を握って語った。この病的な愛と優しさに蝕まれた世界に反逆する素質を持った人間を求めていた、そのために特別なルートで手に入れた反社会的動画を発信元が特定できないようにして投稿し、あたしのような人間がそれを目にして引き寄せられてくるのを待っていたんだと。薊木さんを見つめ返しているうちに、いつの間にかあたしは泣いちゃってた。17年生きてきて初めて出会った尊敬の対象に、言葉にならない感激があたしの中からあふれ出してきたから……

 

 あたしは骨のように細い指をぎゅっと握り返し、何か協力させて欲しいと願い出たんだ。その申し出に薊木さんは目の奥を鈍く光らせて、ありがとう、同志。ぜひ我々の仲間になってくれと言ってあたしを抱き締めた。忘れもしない、あのとき感じた薊木さんの温もりと、うっすら汗ばんだ肌の匂い……

 

 そして薊木さんに付いて町に出たあたしは、やがて駅から少し離れた商店街の端にある、〈となが〉って潰れた定食屋の店先に連れて行かれたの。テナント募集中という張り紙がされ、3分の2ほど下ろされた灰色のシャッターを薊木さんに続いてくぐると、天井の蛍光灯が半分ほどつき、壁に〈ニラ炒め定食 750円〉だの〈オムライス 650円〉だのとマジックで書かれた紙がべたべた貼られてる昭和カルチャー臭プンプンの店内で、数人の若者たちにあたしは注目された。思わず固くなる背中を軽く叩いて薊木さんがあたしの紹介をすると、その中の1人、眉と目が下がり気味な大学生くらいの男の人がテーブル席を立ってあたしに歩み寄り、いきなり『初めまして、おブスちゃん』と微笑しながら言ったんだよ。

 

『おブスちゃん』――そんな侮辱の言葉を平然と口にした若者に、あたしは目をまん丸くしちゃった。罵り言葉が狩られ、使用禁止にされて久しい今日、そんな言葉を他人から受けたことがなかったウブなあたしは戸惑いで顔を真っ赤にし、どう返せばいいのか分からないまま口を半開きにして突っ立ってたの。すると少しポッチャリした、これも20代前半くらいの女の人がキツネ目を柔らげて、『こんなときは、何よ、このクソろくでなしの極短小インポ野郎って返してあげなさい』と横から優しく声をかけてくれて、それをきっかけに他の人たちがくだけて笑い出したんだ。それが私と同志たちとの出会い。私をおブスちゃんと挨拶代わりに侮辱したのが仲館なかだてさん。キツネ目の女性が志摩しまさん……薊木さんを入れて全部で6人の若い男女。説明されたところだと、仲館さんや志摩さんもあたし同様、薊木さんとネットで出会い、薊木さんの伯父さんが経営している不動産仲介会社が管理する、この潰れた定食屋、店舗兼住宅の2階建て物件にこっそりつどっているってことだった。この定食屋の2階住宅部分を隠れ家にした薊木さんたちは互いに遠慮無く、まるでキャッボールを楽しむように乱暴で下品な使用禁止用語を投げ合ったり、一般的には絶滅したと言われている暴力映画を観賞したりしていて、仲間に入れてもらったあたしも一緒になって楽しませてもらったの。

 

 初めての心許せる仲間――かけがえのない友人たち――まるで仲良し同士によるサークル活動みたいに楽しい時間。皆と、薊木さんともアドレスを交換したあたしは、この日以後、周りにバレないように注意して仲館さんや志摩さんと電話でおしゃべりし、薊木さんのブログに開催メッセージの暗号を見つけては、友だちのところに遊びに行くと親をダマして〈となが〉での集会に参加したんだ。たまに悪口言い過ぎてつかみ合いのケンカすることもあったけど、そんなふうに傷付いたり、傷付けたりしながら、あたしたちは反省して絆を深め、そのたびに何て言うか、鍛えられたような気がしたよ。ホントにあの頃は幸せだった。みんなと反社会的な楽しみを共有したあの1秒1秒こそ、あたしが初めて感じた心臓の鼓動だった……仲間の数もあたしが足を運ぶ回数を重ねるごとに少しずつ増え、だんだんと2階の部屋からはみ出て、階段に座り込むくらいになっていった。同じ秘密を、性質を持つ人たちとの密やかで刺激に満ちた交流。でも、この背徳的で反社会的なサークルは、決して内向的なもので終わらなかった。

 

 いつも決まって最後には、いびつな愛、優しさ、いたわり、絆といった概念に毒され、滅びの道をゆっくりと歩んで行く人類を嘆き、突き刺すように怒りを口にする仲間たち。それは仲間の増加が頭打ちになり始めた頃からさらに行き詰った響きを強くし、みんなは眉根にしわを深く寄せ、眼光を鋭くし、歯を噛みしめて唇を横一文字に引き締めた、まさに革命家の顔付きになっていった……その危険な空気が渦巻いているとき、あたしは中心に立って熱弁を振るう薊木さんをまぶしく見上げながら、唾を飛ばして語られる理想に興奮と緊張とで胸を震わせていたっけ。そうして彼の憂国の言葉に賛同し、ますます凶暴にうねり、荒れ狂う思想は閉塞した〈となが〉の店舗兼住宅で極限状態へ達して、一つの『計画』へと集束していったんだ……

 

 計画――それは同志が一丸となって武装蜂起し、自分たちの思想を掲げて社会と闘うというもの。腐敗した愛と優しさの世界を否定し、反社会的要素の復活を求める――それは要するに世界横断大震災以前の世界への復古を求める闘争。それでまた人と人とがときに争い、傷付け合うような世界が再来しようとも、その対立を乗り越えながら成長していくモデルをあたしたちは求めたんだ。誰か特定の権力者を暗殺すればいいわけじゃない、インターネットに反社会的映像や主張を潜ませて送り込んでも阻止されるか、またたく間に発見、削除される――もちろん街頭演説で平和的に訴えようとしても、反社会的人物として警察にたちまち逮捕されるって状況では、武装して自分たちを守りながら人々に直接訴えていくしかなかった。それで、あたしたちはデモを行いながら政治の中枢である国会議事堂を目指すことにしたんだ。それはいずれ警察に鎮圧されてしまうんだろうけど、その過程であたしたちの訴えに人々が少しでも耳を貸し、心に僅かでも風穴が開いて社会変革のきっかけになればと思ったの。

 

 そして薊木さんの指示の下、あたしたちは来たるべき日に備えた。何より大変だったのは武器の調達。核兵器は言うに及ばず、銃や警棒、サバイバルナイフなどの凶器がすべて廃絶された世界で武器を調達するのは苦労したけど、工事現場に侵入して鉄パイプを盗んだり、河川敷かせんじきの小石を拾い集めたりした。そうした秘密の活動に仲間たちと従事するあたしは革命の理想に心を躍らせ、込み上げる破壊衝動に興奮していたんだけど、その一方でXデーが日一日と近付くにつれ、高まる緊張から体調がどんどん悪くなっていったんだ……

 

 そして〈となが〉に集合して武装蜂起をする本日……あたしは集合の時間が迫る頃、笑われるかもしれないけど、自宅トイレの便座に座ってお腹をさすっていたんだ。あたしは……あたしには覚悟が足りなかったんだ。理想に燃えるみんなとの一体感に酔って自分が変わったと錯覚していただけで、実際は破壊や暴力に憧れる臆病な女の子のままだった……集合時刻を過ぎていく腕時計の針をにらみながらお腹の痛みに耐え、汗を噴き出す頭を垂れてあたしは苦悶した。あたしは十分協力した、これ以上自分の身を危険にさらすことはない、デモに参加すれば、間違いなく逮捕されて矯正院に送られ、矯正教育をヤられる……あたしの脳裏には昔見た、矯正された男の姿がまざまざとよみがえった……あんなふうにあたしという人間が【殺されて】しまう恐怖が全身を縛り付けた……だけど……そんなあたしを焚きつけるように皆と共有した時間が、仲館さんや志摩さんの顔が、そして薊木さんの声が生々しく再生されて頭の中に反響し、腐った愛と優しさが支配する世界への反抗がしおれていた頭をぐ、ぐ、ぐ、ともたげさせた……! あそこに、〈となが〉に行かきゃ、あたしは一生後悔する――立ち上がってパンティとジーンズをぐいっと上げたあたしは、すくんだ足を殴りつけ、吹き飛ばされそうな恐怖の突風に歯を食いしばって抗うと家を飛び出し、きっと鬼のような形相のあたしに道行く人が驚いて飛びのく中、何十回も往復した道をなりふり構わずひた走ったんだ。

 

 だけど――あたしを迎えたのは、商店街の関係者や買い物客らの人垣、白い煙が立ち込める商店街の中をにこにこ眺めながら鼻と口に手やハンカチを当てている光景……まさか――最悪のシナリオがよぎった頭を振って群衆をかき分け、前に出たあたしの耳に笑い声が重なって飛び込み、白い煙が充満する商店街からガスマスクをつけた警察官に両側から拘束された仲館さんが無邪気に笑いながら出て来て、その後から志摩さんや他の仲間もバカ笑いしながら続々現れた……笑いガス――大昔の催涙さいるいガスに代わって現在警察に配備されていて、吸引した者は幸福感に酔いしれ、陽気に笑い続けるという、愛と優しさで配慮された犯罪鎮圧用武器……その現実を直視できなかったあたしはその場から逃げ出してここ――この河川敷の陸橋の下まで来たところで陰に倒れ込んだ。どこから漏れたのかは分かんないけど、あたしたちの計画は警察の急襲によって阻止されたんだ。薊木さんも仲館さんも志摩さんも……みんな、間違いなく矯正院に送られて〈善良な人間〉に矯正教育される……

 

 ……終わった……何もかも……武装蜂起の失敗、奈落の底のように深い喪失そうしつ感――倒れ伏して嗚咽おえつし、湿った土の地面をさらに濡らしたあたしは、頭上の陸橋からころんころんと穏やかに響く、電車の行きかう音を何度か耳にしているうちに、そんなところにまでこもる優しさに胸の奥からふつふつと激情のマグマが込み上げてきた。許さない……絶対に許さない……あたしを、仲間たちを認めず、自分たちの価値観を絶対のものとして世界を支配する、すべての善良な人間たち!………………………………

 

 そしてあたしは決心した。残ったあたしがみんなに代わって闘うことを。どうせあたしのことも笑いガスにやられた仲間たちの口からドバドバ漏れているんだろうし、警察に追われて逃げ回るくらいなら、この河川敷に転がってる石を握ってこっちから出て行ってやる。多勢に無勢だろうと構わない。理想を叫びながら反逆して死ぬ道を選んでやる。そしてその前に、あたしはあたしという人間の魂をこのスマホで記録することにしたんだ。ライブストリーミングでやると、ここまでキッチリ語る前に居場所突き止められて捕まるだろうから、こうやって動画で記録してスパムで不特定多数にメールします。そのほとんど――もしかしたら全部が見てもらえないかもしれないけど……でも、誰か1人でもこのメッセージを開いて、あたしという人間の真実を、あたしたちの志を理解してくれることを願って……じゃ、そろそろ終わりにします。見てて下さい、みんな、そして薊木さん。あたしはやります―――――――――――えっ?――何? 着信―――? ―――――――――――薊木さん? ま、まさか? ――も、もしもし、はい、あたしです。はい、はい、え、ええ、無事です。今、××陸橋の下です。薊木さんは? ぶ、無事なんですか? はい……はい……そうですか、良かった………………! どうして、どうしてこんなことになってしまったんですか?……………………………そんな……内通者が……その裏切り者があたしたちを………………………ひどい……一体誰が……! それで、これからどうするんですか、薊木さん? あたしは独りでも計画を実行するつもりだったんですけど……もしもし、聞いてます? 薊木さん?……え? ちょっと、何よ、あんたたち! どうして警察がここに? 何であたしの居場所が?―――――――――まさか……………………まさか……薊木さん、あなたが……? もしもし、答えて下さい! もしもし!…………………………なん……ですって……………? 最初からあたしたちみたいなのを罠にかけるために仕組んだことだったんですか? 反社会的なにおいに引き寄せられて来たあたしたちを集めるだけ集めて、一網打尽いちもうだじんにするために…………………………………………………………そ……ん、な……………………………………………………………………………………………………………………ぁはは、はははっははっはははは……ハハハハ……そうか、そうだったんだ……! それにあたしたちみんなまんまとハマって騙されたってワケなんだ? あなたはこいつらの手先だったんだ!……へぇ、例え人類が衰退して滅びようとも、傷付け合って成長していく野蛮な世界よりもマシって? あんたらが言う反社会的な要素がみじんもない、純粋無垢な社会こそが理想だって本気で言ってるんだ? ははは、笑えるじゃない? ホントに……! くっ、ぐ……うっ、ウッ、ウウ!………………………………近寄らないでよッッ! そこを動くな、クサレ畜生どもッ! ニコニコニコニコ気持ちわりィんだよッ! そうなんだ、上等じゃない。薊木さん――本当の名前は違うんでしょうけどね、今も言ったようにあたしは独りでもやるよ。おとなしく投降するつもりなんてないもん。ありがとう、あたしを見出してみんなと出会わせてくれて。おかげで、もしかしたら鬱々うつうつとした暗い一生を送るしかなかったかもしれないあたしは、こんなふうに羽化できました。本当にありがとうございました。そして、さようなら――さぁ、やってやろうじゃない、このクソ野郎どもッッ! 行くわよ、ファァァ――――――――――――ッッ――クゥゥッッッ――――――――――――――――――!

さよなら、クロ

短編小説

 野良のクロネコは、独りぼっちだった。

 

 だが、クロネコにとっては、それが当たり前だった。暗く寒い夜、砂利の駐車場で車の下に産み落とされ、いつのまにか母や兄弟姉妹がちりぢりばらばらになってから、ずっとそうだったのだから。

 

 縄張りを持たず、自分の姿を隠す黒い夜を好んで夜風に吹かれるまま町から町を渡り歩く毎日。お腹がすけば、闇にまぎれて飲食店やコンビニのごみ箱をあさったり、飼い犬の小屋の前に置きっぱなしの皿から食べ残しを失敬したり、まだ朝暗いうちに出かける人間がごみ捨て場に出した袋を破って残飯をむさぼったりして、眠くなったら駐車している車か庭にある物置の下に潜り込む。そうした暮らしは、毛の色をますます深めていくようだった。

 

 行く先々でそんなことをしていると、縄張り荒らしだと地元の野良ネコたちににらまれることもあったが、クロネコは仲良くしようとするどころか薄笑いを浮かべ、相手とその数を見て勝ち目がありそうなら飛びかかり、無ければ一目散に逃げ出していた。そんな風にぐれた根無し草――それがクロネコだった。

 

 そんなクロネコが冬のある夜、冷たい雨を避けるために塗装があちこちはげた半開きの門扉を通り、玄関灯がついていない古びた一戸建ての玄関前で雨宿りをしていたとき、食料品で膨れたビニル袋片手に傘を差し、少しおぼつかない足取りで帰って来た家主と遭遇したのは、奇妙なめぐり合わせに他ならなかった。

 

 玄関ドアのすぐ横で丸くなっていたクロネコは、自分に目を凝らす相手をじろっと見上げた。やせて頬がこけ、ぼさぼさした白髪頭の老婆――人間にはいつも嫌な顔をされて追い払われ、危険な目に遭ったこともあるクロネコは、相手を上目遣いににらみながらそろそろと体を起こして逃げる準備をした。

 

 傘を振るうのか、それとも履き古された靴で蹴ろうとするのか――警戒しながら、ますます強く地面を打って一向にやむ気配が無い雨の中に飛び出すのをためらっていると、なぜか老婆は破顔し、まるで久しぶりに帰宅した息子を迎えたように話しかけると、薄汚れた黒のダウンジャケットのポケットからごそごそカギを取り出し、ドアを開けて中に招き入れようとした。

 

 いつもなら、中で何をされるか分からないと恐れて入らなかっただろう。だが、体が冷え切っていたクロネコはできることなら雨風をしのぎたいと思い、何か企んでいるようでもなさそうな笑顔に促されて、油断無く目を光らせながら玄関に足を踏み入れた。

 

 日陰のごみ捨て場に似た臭いが濃厚にこもる家の中は、廊下や階段、そして台所や隣の居間の床にもコンビニ弁当の空きパック、パンか何かを包んでいた袋、脱ぎ捨てられてそのままの衣類などが散らばり、シンクには汚れたコップや茶碗、皿が山のように積み重ねられていたが、小便臭い裏路地を歩き、どぶ川にかかる橋の下で眠ることもあったクロネコは気にせず、老婆が寒い部屋を暖めようと急いでストーブをつけ、買ってきたばかりの弁当パックをしゃがんで床に置き、ふたを開けて勧めてくれたのを棚から牡丹餅とばかりにがっついた。そんなクロネコの背を、老婆はマコト、マコトと愛おしそうに呼びながら優しく撫でた。




 それが、クロネコと老婆の妙ちきりんな日々の始まりだった。

 

 もっとも、初めから長居をするつもりだったのではない。しかし、久しぶりにありついたまともな食事で満腹になり、ストーブの暖かさに包まれているうちにうとうとし、床に散らかった衣類の寝床で丸くなって眠ってしまったクロネコは、居心地の良さに出て行き難くなったのだ。

 

 そうして1日、そしてまた1日と、クロネコはやっかいになり続けた。悪臭が染み付いたごみ屋敷とはいえ、三度三度近所の店で買ってきた弁当や総菜パンなどを出してもらえるし、体を温かいタオルで拭いたり、伸びた爪を切ってやすりをかけてくれたりという至れり尽くせりの暮らしは、いつもの浮浪生活と比べてはるかに快適だったから。唯一の難点は、なれなれしい老婆が、ときどきうっとうしく感じられることだった。



 そう、まるで家族か親友のように――



 あるときは『マコト』と呼んで抱き締め、あるときは『あなた』と呼んでかいがいしく世話を焼き、またあるときは『ちーちゃん』と呼んで愚痴や世間話の花を咲かせたかと思えば、『お母さん』と呼んでべたべた甘える――その日、そのときによって様々に呼ばれたクロネコは、そのうちに『マコト』というのが老婆の息子、『あなた』が夫、『ちーちゃん』が学生時代からの女友達で、『お母さん』は母親らしいと分かってきた。

 

 最初は《ごっこ遊び》に付き合わされているのかとも思ったが、老婆の目は本気そのものだった。クロネコは本当に息子や夫、親友や母親だと思われているのだ。一度、何となく虫の居所が悪かったクロネコが隣に寝っ転がってきた老婆からさっと離れて隣の居間の座卓の下に潜り込んだところ、老婆はごみだらけの台所の床に座り込んでしくしくと――まるで幼い少女のように泣き出してしまったことがあって、このときは自分勝手なクロネコも何となく気がとがめ、以降、露骨に避けることはしないようにした。

 

 自分――と言うか、誤認している相手への態度からすると、この老婆はよっぽど人好きなのかとクロネコは思ったが、実際はそう単純ではなかった。雨戸が閉め切られ、たまに開けても外からのぞかれないようカーテンをぴっちり閉めた家を訪問する者はめったにおらず、ときどき知り合いか何からしい人間がチャイムを鳴らして玄関ドアを叩き、カーテンで遮られた掃き出し窓越しに親しげに呼びかけても、老婆は眉間に縦しわを深く刻んで今忙しいとか用は無いとか言って拒絶し、かかってきた電話も無視するか、受話器越しに乱暴な受け答えをしてガシャンと切っていた。もしかしたらその中に『マコト』や『ちーちゃん』がいたのかもしれなかったが、そういうときの老婆は、クロネコに接するときとはまったくの別人だった。

 

 壊れている――

 

 この老婆は、病気か何かでおかしくなっている――薄気味悪くなったクロネコは何度か出て行こうとしたが、老婆はいつも大事にしてくれるし、外で吹き荒んでいる寒風の音を聞くとストーブから離れ難く、弁当や総菜パンの誘惑にも打ち勝てず、結局ずるずる居候を続けた。

 

 しかし、この生活がいつまでも続く保証は無い。老婆の気が急に変わって追い出される可能性だってある。何しろ相手は《壊れている》のだから。だったら、この暮らしができるだけ続くようにしよう。老婆の心が穏やかであるようにできるだけ役になり切ってだましてやろう――そう決心したクロネコは、うっとうしいという気持ちを脇に置いて演技に力を入れるようになった。『マコト』のときは素直な良い息子になり、『あなた』のときは少しいばった感じで、でも妻へのいたわりを忘れない夫を演じ、『ちーちゃん』のときは脈絡無くぽんぽん飛ぶ長話に耳を傾けて相槌を打ち、『お母さん』のときは甘える老婆のたるんだ頬やしわしわの手を優しくなめてやった。そうやって真剣に取り組んだクロネコは、いつしか立派に家族や親友になり切ることができるようになっていた。

 

 これで当面は安心――古ぼけた座卓の上に座ったクロネコは、広げた大学ノートに意味不明な記号や数字を羅列して熱心に勉強を教える老婆に分かったふりをしてうなずきながら、密かに苦笑した。普通ではありえない、奇妙きてれつな状況。だが、自分が役を演じることで老婆は毎日生き生きと過ごせている――言わば人助けをしているようなもので、ストーブと3食昼寝付きは当然の報酬だなとクロネコは考え、そして、これができるだけ長く続くように願った。老婆と自分との、不可思議な暮らしが……




 だが、それは突然終わりを告げた。

 

 いつものように抱かれて2階にある寝室の布団に入り、翌朝目覚めたクロネコは、老婆の様子がおかしいことに気付いた。肌からぬくもりが失われ、いくら耳元で鳴いて前足で頬を叩いても、安らかな寝顔はまぶたを開かなかった。

 

 クロネコは動転した。

 

 それが初めて死に接したからなのかはよく分からなかったが、うろたえたクロネコは老婆を起こそうとむなしくあがき、それが無駄だと悟ると枕元にがくっと座った。

 

 雨戸が閉め切られた暗闇の底で、どれくらいそうしていただろうか。不意にチャイムが鳴り、玄関ドアをノックする音がクロネコの耳に届いた。ときどきやって来ては追い返される訪問者の1人――前足でふすまを開けたクロネコは階段を駆け下りて玄関の三和土たたきに立ち、そこで精一杯声を張り上げて鳴いた。中から聞こえるただ事ではなさそうな鳴き声と、いつものような老婆の反応が無いことに外の人間も異常を察したらしく、しばらくして遠くからけたたましいサイレンの音が家に近付いて来たかと思うと、居間の雨戸が外されて掃き出し窓のガラスが割られ、割れ目から手を突っ込んでカギを開けた制服姿の人間たちが散らかり放題の家にあわただしく上がって、2階の寝室で老婆のなきがらを発見した。

 

 それからのことを、クロネコは部屋の隅や廊下の奥からぼんやり見ていた。いろんな制服姿が家に上がって遺体の周りに集まり、最後には袋に入れて階段を下ろし、家の前に駐車させていた白い大きな車に乗せてサイレンを響かせながら運び去るのを陰から見送った。やがて人間はすべて消え、クロネコだけが玄関ドア前に残り、薄曇りの寒空の下で身を縮めていた。

 

 どうして、そんなにショックを受けているのだろうか?――クロネコは自問した。

 

 暖かいストーブや食事、寝床が無くなったから?――いや、それとは違う、もっと大きな何かが消えていた。やがて夜が訪れ、二度と明かりがともることの無い家が闇に埋もれたとき、クロネコはうつろな足取りで門扉の隙間を通って出て行った。家路を急ぐ人間たちと何度かすれ違い、窓から暖かな光が漏れる家々の暗い狭間を歩き続けたクロネコは、幅の広い川を見下ろすことができる土手の上の道に立っていた。道は真っ黒な川沿いに上流と下流とに伸び、それぞれの道の向こうには対岸につながる橋がかかっていて、その先には夜に眠る町が見えた。

 

 どこに向かおうか……思案したとき、クロネコは強く胸を締め付けられ、そして立ち尽くした。行く当ても、待っている者もいない。自分には孤独があるだけなのだ。それを思い知らされたとき、クロネコの両目から涙があふれ、老婆との思い出が鮮やかによみがえった。『マコト』として母に孝行し、『あなた』として亭主関白しながら良妻ぶりを褒め、『ちーちゃん』としてたわむれながらおしゃべりの相手をし、『お母さん』として娘を慈しんだ日々――老婆の魂とともに自分の中から消えてしまった存在の空隙がとめどなく涙を流させ、ぼたぼたと地面に落とした。



 壊れた老婆を慰めてやっている――



 それは、愚かな傲慢だったのだ。役を演じていたとき、クロネコは息子や夫、親友や母親だと信じる老婆の愛情に、絆のぬくもりに安らいでいたのだ。もしかしたら心の奥底でずっと求めていたのかもしれない、投げやりに生きるばかりで背を向け続けてきた尊い感覚の衝撃にクロネコは崩れ、白銀に光る満月の下で体を震わせて泣き続けた。

 

 やがてクロネコは泣き疲れ、眠りに落ちた。そして時が経ち、寒さにぶるっと身を震わせて目覚めると、ふらふら立ち上がって辺りを見回した。白んだ空の下、左右に伸びる道も上流と下流とにかかる橋も、その先の町も変わらずそこにあったが、うっすらと光に照らされるそれらは別物のようだった。黒い夜を放浪し、陰から陰へとさすらう生活では決して見ることができなかった光景――じっと見つめていたクロネコは、やがて地平から光があふれてくる方角へ向き直った。ゆっくりのぼる陽の光が毛をきらきらと輝かせ、黒を薄れさせる。

 

 またあんなぬくもりを感じることが、絆を結ぶことができるのだろうか――不安に胸を高鳴らせながら、野良ネコは光へと一歩ずつ足を踏み出した。

Mov.48 世界フィーバー(2)

TEM†PEST

 ――ユン、そしてイ・ジソンのATVが薄れゆく霧から現れ、合流してアイドリング状態になると、疲れ顔のクォンはATV上から自軍メンバーがそろったことを確かめて重たげな息を漏らした。消耗に比例して霧は力を失い、もはやちょっとした煙幕でしかない。クォンの周りでは、あちこち傷だらけのホンやファンたちがATVの運転席に座ったまま休んでおり、ただ2人走って来たユキトと紗季がガスマスクを外して汗を拭い、熱い呼吸を整えている。

 

「……追って来ないのか? 佐伯さんたち……」

 

 汗で手をべたつかせたユキトが薄霧を振り返ると、紗季がぼやけた峡谷から視線を転じる。

 

「どうなんですか、クォンさん? 偵察に出したオートマトンからの報告は?」

「『退却』で間違いないようだね」

 

 オートマトンからの報告を表示するコネクトを見て答え、クォンはメンバーを見回して双頭のスピア――ドッペルアドラーを握る右手を誇らしげに掲げた。

 

「大勝利! 大勝利だ! ボクらはハーモニー軍を打ち破ったんだ! 素晴らしい快挙だよ!」

 

 勝利宣言に高揚し、ガスマスクを外して歓喜に沸く韓服の一団。他方、疲労とデモニック・バーストによるひどいだるさにさいなまれるユキトは、紗季ともども人間同士の争いの一幕を暗い顔で眺めていた。

 

「――ハーモニー軍は、戦傷に加えてミストのダメージで士気が低下しているだろう。それは、ポーションや治癒魔法じゃどうにもできない。ま、尻尾を巻いて遺跡に戻るしかないんじゃないかな」

「……でも、また攻めて来るんじゃないですか?」と、紗季。「佐伯さんにも意地があるだろうし……ミストのことを知られてしまった以上、もう今回みたいにはいかないですよ」

「そうだろうね。だけど、まだやりようはあるさ。それはさておき、取りあえず休もうじゃないか。肉体労働で鍛えられてきたボクも、大量にミストを出してさすがにへとへとだからね」

「……分かりました……――どうしたの、斯波?」

「あ、いや……何か、流動がざわついてきたような……」

 

 腰を入れてふらつきを押さえ、ユキトは薄霧越しに北――まだ陽が差さず、夜の残滓がいくらか残る薄暗い峡谷に目を凝らした。かつては河であったろうくねった幅広の道は数百メートル向こうで大きく右にカーブしていてその先は見えなかったが、ぼやけた峡谷を揺さぶる波、そして微かな地響きはそちらから寄せて来ていた。

 

「……んっ? あれは……?」

 

 ホン・シギがメガネをずり上げ、揺らめく崖の陰からぬうっと現れた巨影をいぶかる。薄暗がりで映える黄金の輝き――それは、遠目には陸を行く大型クルーザーに似て見え、巨大装輪で地を繰り返し轢いて迫るに従って特急列車のように丸みがかった前面から巨砲をそそり立たせる、3階建てビル並みに大きいゴシック様式大聖堂の威容を見せつけて一同をざわつかせた。全高10メートル強、全幅約10メートル、全長約18メートル……その『動く黄金の大聖堂』の周りには、ツインテールを思わせる角状突起がある銀のヘルメットをかぶり、白の戦闘服に太陽とツインテールが合わさった紋章が描かれる銀のプロテクターを装着してアサルトライフルを携帯した100名ほどの兵士――ルル・ガーディアンズが隊列を組んで付き従っていた。

 

「……神聖ルルりんキングダム……」クォンの唇が、嘲り混じりにゆがむ。「今頃のこのこ現れたのか、キテレツ集団め」

「見て、斯波」紗季が指差す。「高峰さんよ。ベランダのところ」

「本当だ……」

 

 ユキトは中2階部分から突き出た160ミリ榴弾砲の上、2階ベランダに目のピントを合わせた。そこにはツインテール太陽の黄金杖を右手に持つ、燦然とした影――翼を広げたデザインの銀の王冠を戴き、胸元あらわな黄金ドレスの襟と肩口から羽を模した飾りをクジャクのように広げるツインテール美少女――ゴッデス・ルルフこと高峰ルルフが立ち、左右には学者然とした帽子と金のひだ襟がついた中世ヨーロッパ風衣装の鎌田キヨシ、金のレザージャケットに白のレザーパンツをはいた北倉ロベルトがはべっている。

 

「……こうして見ると、つくづくヒーロー物の悪の組織っぽいわね……あの金ぴか大聖堂っぽい超デカ車、〈ハイパーゴッデス号〉だっけ?」

「ああ、勧誘のメッセージにも何度か自慢げに登場させてたよな……」

『ハイパーにグッモーニン! ユッキー+αの皆さーん!』

 

 100メートルほど隔ててハイパーゴッデス号と隊列が止まり、耳かけ型ヘッドセットとスピーカーアプリのラウドで増幅された声が峡谷を震わす。そのメッセージで再生される声以上のパワーに打たれてユキトはよろめき、引き潮に持っていかれそうになるのを踏みとどまってこらえた。神を自称し、ルルラーたちからポイントを吸い上げてカリスマレベルをアップさせたルルフは、ギリシア神話に登場する魔物セイレーン顔負けの力を付けていた。

 

『あれ~? ひょっとして、もう戦いは終わっちゃったのかな?』

「白々しいね」ドッペルアドラーの穂先を上げ、高みへ声を投げ付けるクォン。「偵察くらい出しているんだろう? 終わったことなんか百も承知じゃないのかい?」

『もちろんだよ。神様のルルは、ちょっと遅れても問題ないってことも分かってたもん』

 

 周囲から沸く感嘆と賛美の拍手――ルルフは不遜な微笑みを浮かべ、おもむろにコネクトを開いた。

 

『――コリア・トンジョクのみんな、ハイパーにご苦労様~ それじゃ、ルルからご褒美あ・げ・る♡――ファイヤァッ!』

 

 号令が響くや巨砲がドオオンッッと轟音を上げ、榴弾がユキトたちの前方に着弾して大爆発――大地がひっくり返らんばかりの衝撃に吹っ飛び、転がったところに土と小石がバラバラ降り注ぎ、眼前のクレーターから炎と煙がごうごうと立ちのぼる。度肝を抜かれ、耳鳴りにさいなまれながらえぐれた地形を凝視した者たちは、ベランダから破壊の跡を得意げに見下ろすツインテールの神をにらんで身構えた。

 

「――高峰さん! どういうつもりよっ!」

『今のは脅しだよ。だけど、次は当てさせるかも。――さあ、おとなしく降伏してもらおうかな~?』

「ふん、どうせそんなことだろうと思ったよ」

 

 苦笑したクォンはATVをハイパーゴッデス号とルル・ガーディアンズにグイッと向け、イジゲンポケットから90体弱のオートマトンを出現させて左右にずらっと並べると、メンバーたちを振り返って青ざめた天にドッペルアドラーを突き上げた。

 

「相手は、ただのオタクどもだ! ついでに蹴散らすぞッ!」

 

 気炎を吐いて走り出すクォン――銃剣を着剣したK7を構えるオートマトンの波が続き、赤系統の韓服姿がスロットルを回して突撃を開始する。その後ろ姿を、ユキトと紗季はぼう然と見送った。

 

「……どうする、斯波?」

「どうするって……」

 

 煙炎えんえんを突っ切ってクレーターを渡り、グオオッッと襲いかかるコリア・トンジョク――俯瞰するルルフは、シフトレバーを入れるように黄金杖を前へ傾けた。

 

『――総員〈バーサーカー・アイ〉装着! おバカさんたちをハイパーに叩き潰しちゃってっ!』

 

 コネクトを通じての命令一下――ガーディアンたちが「ハイパーディバインッ!」と叫び、赤いゴーグル型アイテムをデュワッと目に当てる。すると、火に火薬を投げ込んだごとく気勢が爆発し、韓服とオートマトンの波をツインテールのそれが迎え撃つ。余勢を駆るコリア・トンジョク対アイテムで闘志を高めたルル・ガーディアンズ――入り乱れて相争う様を見ていたユキトは、応答を求めるクォンとコネクトした途端に怒鳴られた。

Mov.48 世界フィーバー(1)

TEM†PEST

 赤い刃は、ピンクの髪に触れる寸前で止まっていた。

 羅神の柄をぎりぎり握り、息を震わせてにらみつける佐伯……

 それを、静かに見つめ返すジュリア……

 揺らめく霧の世界で相対する意思は、肌寒い空気をいっそう張り詰めさせた。

 

「……できへんよ、シューくんには……」

 

 無垢な微笑が軍服姿からこわばりを除き、赤い刃を横に外れさせる。羅神を引いて後ずさる佐伯にジュリアは歩み寄って右手を差し出し、にこっと笑いかけた。

 

「うちといっしょにかえろ。そして、みんなでなかよーすることかんがえよ。シューくんはうちよりずっとずっとあたまええんやから、きっとみつかるよ」

「!……」

 

 幻覚だと分かっていながら、佐伯は揺さぶられずにはいられなかった。ラー・ハブ事件のような悲劇を二度と繰り返さない……ジュリアを犠牲にしてしまったことを償おうと躍起になっていた自分が、空間もろとも流されてしまいそうだった。

 

「……お前の言っていることは、理想論に過ぎない。大半の人間は、己を律することさえできない。だから、正しく支配する必要があるのだ……!」

「そんなことゆうてるからあかんのや。うえからみてないで、いっしょにやっていこうよ。ほら……」

 

 求めるジュリアの手が眉間の亀裂を少しずつ埋め、手から凶器を消す。向き合っているうち、佐伯はいつしか無意識に右手を伸ばしていた。

 そろそろと……少しずつ……ぬくもりに引き寄せられる手……

 手と手が近付き……指と指が触れかけた、そのとき――

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――! 

 

 ジュリアの笑顔が悲鳴とともに裂け、半袖チュニックTシャツの花柄から血しぶきが飛ぶ。鮮血で汚れ、悲しげな顔でよろめきながら霧に変わって散る幻――がく然とする佐伯の耳に矢萩の声が踊り込む。

 

「――ご無事ですか、佐伯軍将ッ!」

 

 抜き身の日本刀――飢狼片手に横から矢萩は問い、己が斬り捨てた幻の残滓をにらんだ。奇怪な光に救われた矢萩は、何が起きたのかと戸惑いつつともかく仲間を捜そうとしているうちにシンクロしたのだった。

 

「――この霧は、霧の魔人のやつと似たものみたいです。俺も下らないものを見せられ――」

 

 裏拳――握り固められた左こぶしでガッと打たれ、よろけて尻もちをついた矢萩は鼻を右手で押さえて目を瞬き、衝撃と痛みでクラッシュした視界へ吠えた。

 

「……なっ、何をするん――」

 

 見上げた先――怒りあらわな双眸がぶつかる。それはさっとそむけられたが、立ち上がった矢萩は鼻血で汚れた右手をこぶしにし、眉根の縦しわを角のように刻んだ。

 

「どういうことですかッ? あの幻を斬ったからですかッ?……どうなんですかッッ!――」

 

 背を向けた佐伯の肩をつかもうとしたとき、斜め上空から霧を貫いて降る数条の熱線――地を穿って焼くビームの集中豪雨が、2人を別々の方向に飛びのかせる。

 

 光熱系魔法――ヒートストリングス――

 

「!――」

 

 羅神を握った佐伯は背後に迫る気配をとらえ、振り返りざま斬りつけようとして一瞬躊躇――その隙を突き、黒い刃が左脇腹をゾグッとえぐる。うめく佐伯の間合いから攻撃者はバッと飛びすさり、天真爛漫な少女の顔をいやらしい笑みで満たした。

 

「ふふ、アンタがイジンのガキんちょにお熱だったとは意外だね。びっくりだよ」

 

 銀でワシをかたどった両端から黒い刃を突き出すツインスピア――〈ドッペルアドラー〉を構えたジュリアがにやにや笑い、薄紫のパジチョゴリに紫ベスト姿のクォン・ギュンジに姿を変えるや柄を真ん中から分離させ、左右の手それぞれにショートスピアを握ってたたみかける。左右から鋭く突き出される刃――負傷して動きが鈍った佐伯のバリアを切り裂き、白軍服を赤く汚す。

 

「――アンタを仕留めれば、ハーモニー軍は要を失う! やられてもらうよッッ!」

「――くっ!」

「軍将ッ!――このイジンがッ!」

「邪魔者は、引っ込んでろよッッ!――」

 

 クォンのイジゲンポケットからオートマトンが6体剣を手に飛び出し、加勢しようとする矢萩の餓狼と火花を散らす。サシの勝負を維持したクォンは周囲の霧に目を走らせ、踏み込んでガギィッと斬り結んだ。

 

「――霧が薄くなってきたんでね、さっさとケリをつけさせてもらうぞッ!――」

 

 左手からスピアが消え、代わって次々発生する炎の塊が回転して円環を成し――標的めがけてドドドドドッッと飛ぶ。炎系魔法ガトリングファイヤー――至近距離から食らい、焼けながら後ずさる佐伯にとどめを刺そうと踏み込むクォン――

 

「――んッッ?」

 

 不意に横手から足音が迫り、霧中からユキトと紗季が転がるように――続いて、潤が阿修羅のごとく両手の刀を振り回して飛び出す。ほんの十数メートルのところでのハプニングにクォンは気を散らされ、反撃で振り下ろされる羅神をしのいで下がった。

 

「――クォンさん?――危ない、離れてッ!」

 

 ガスマスク越しに叫び、黒い右手を振って警告したユキトが、後方の潤から放たれた光刃を紗季と避ける。標的をとらえ損ねた斬撃はクォンの鼻先をかすめて飛び、佐伯からさらに離れさせた。

 

「――佐伯軍将ッ?」

 

 気付いた潤が駆け寄って守り、オートマトンをすべて光のちりに変えた矢萩が怒声をほとばしらせてクォンに斬りかかる。

 

「――ちっ、ここまでかっ……!」

 

 舌打ちし、餓狼をショートスピアではじいて――妖光を帯びたクォンの左手がブンと振られると、たちまち矢萩の足元が粘っこい泥に変わってブーツを絡め取ろうとする。補助魔法マッドグラウンド――間合いから逃れたクォンはコネクトを開いてメンバーとつなげ、ユキトたちを振り返った。

 

「霧が晴れる前に離脱するぞ!――聞こえたな? 全員後退だッ!」

 

 命じるや、クォンはイジゲンポケットから出したATVに飛び乗って薄霧の中へ姿を消し、ユキトと紗季も潤を気にしながらその後を追う――

 

「待ちなさいッ!」

「逃げるな、イジンどもッ!」

「やめろ……!」

 

 追おうとする2人を制止し、佐伯は命じた。

 

「――峡谷の外まで後退する。全員にコネクトで伝えろ」

「後退ぃ? やられっぱなしのままですかッ?」

「黙って従えッ!」

 

 有無を言わせぬ語調に矢萩は黙ったが、唇の間からは憤激できしる歯がのぞき、つり上がった目は不信の炎を猛らせていた。それに背を向け、案じる潤をよそに、佐伯は血がにじむ左脇腹を手で押さえながら自らのATVへ独り歩いた。