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REBEL∝VECTOR

小説/イラスト/詩/俳句 ©永都由崇

Mov.54 魔王(3)

「――!」

 

 右斜め前方に転じられた目を赤い光がくらまし、ハッとする三人衆の見ている前で胸がはだけた上半身と腰とを消し飛ばそうとした高出力のビームがバリアにぶつかってバアアッッと拡散――とばっちりを食った木々が黒焦げになり、下生えごと焼かれてえぐられた地面がブワッッと白煙を上げる。

 

「――不意打ちしてんばねえぞッ!」

 

 ビームの衝撃で地面を削りながら十数センチ後退させられ――矢萩がグッッと腰を入れ、腕を胸の前でクロスさせて、射線上にあったがゆえに幹をぶち抜かれた木々が倒れるところへブラッド・レイを――地獄の炎色の光線は遮るものすべてを超高熱で消し飛ばし、赤いビームの発射地点、薄暗いよどみの彼方に吸い込まれて大爆発を起こした。すさまじい爆風が枝葉を引き千切って広葉樹群を放射状になぎ倒し、暗雲を食らわんばかりに噴き上がった炎が猛り狂ってごうごうと黒煙を吐き出す。ブラッド・レイによるオーバーキルで切り開かれた向こう、片っ端から辺りの草や樹木をむさぼる火炎を見据えた矢萩は、三人衆が慌ててオートマトンにリーダーを守るよう命じるのをやめさせた。

 

「――お前らは下がってろ……!」

 

 炎と空間の揺らめきから影が――赤い仮面が左右に揺れながら現れ、熱を帯びた黒光る荷電子粒子砲の右腕がグウッッッと縮んで人の手に戻る。入谷たちを後退させた矢萩はウルトラオーブがぎらつく胸をそらして腕組みをし、黒ずんだぼろぼろのカーゴパンツから出た黒い素足が焼け焦げた下生えを踏む歩み、方々がこぶのように盛り上がる黒い裸の上半身と傷だらけの呪い面をじろじろ眺めて、くわえた吸引器をクイッと上げた。

 

「ははっ、うわさには聞ひてたが、実際見ると悪趣味な仮面だら。そいつをつけて魔人になったんらってな、クソガキ。そのあちこち腫瘍みてえになってんのは魔人化が進んでるってことかぁ? まあ、どうでもいいがな。それにしても、霧の魔人といい、斯波といい、テメエといい、まったくそろいもそろって気色悪いもんだ。くくく……」

「……しね……!」

 

 数十メートル隔てて呪いが吐き捨てられ、いぼいぼの黒い両腕と胸、腹、背中からハリセンボンさながらに小型ミサイルが突き出し、間髪容れず一斉にエンジンを噴射――バアァッッッッと爆ぜ飛び、樹間を縫う無軌道を矢萩へ集束させる。息をつく間も無く次々炸裂して耳をろうする爆発――付近の枝を、幹をへし折り、散る葉の吹雪を起こす立て続けの衝撃波――バリアを強める三人衆が凝視する前で恐ろしく執拗に、ちり一つ残ることを許さぬ苛烈さで続く猛攻撃は、赤黒い輝きの爆発にはねのけられた。。

 

「……ふん、何だぁ、これは? シャボン玉でもぶつけれんのかぁ?」

 

 破壊の空隙で無傷の矢萩があざけり、少し乱れたくせ毛を軽く片手で整えると、嬉々とした獣の顔で口角をぐにゃりとつり上げた。

 

「いいのかよ、こんな真似しれ? あの動画、ばらまいちまうぞぉ。テメエの大事なメスガキが泣きながらヤられてる傑作をよぉ! けけけ!」

「――しッッねェェェェェェェェッッッッッッッッ――――――――――――――――――――ッッッ!」

 

 黒い肉体が高速で飛び出し、こぶしを固めた両腕がボゴオッと筋肉質化して二回り膨れ上がる。スペシャル・スキル〈オーガ・フィスト〉――ボウリングのボール大になった両こぶしが襲いかかり、ガードする腕との間で雷鳴さながらの衝撃音を連続させる。凶暴に吠え、狂い死にしかねない激烈さでめちゃくちゃにラッシュするシン――そのみぞおちにドンッッとめり込んだボディブローが体を折って動きを止め、レッド・デスマスクを直撃する右ストレートがのけぞらせてぶっ飛ばし、スザァッッッッと背中で十数メートル地面を削らせた。

 

「あはは、イカレちまったらひいな。イジンのクソガキめ」

 

 うめきながら体を起こすシンをとろけたまなざしで眺めて煙を吐き、矢萩は苦笑混じりに顔をしかめた。

 

「――ふっ、そういやテメエはもう人間じゃならったな。魔人とかいう怪物――いや、いぼいぼのいぼ虫か。ははは、いぼ虫、いぼ虫! ふん、目障りだから跡形も無く始末してらるよ!」

 

 ふらふら立ち上がるところを狙って両腕が☓の字に組まれ、帯びた赤黒い光がエネルギーを高めてまばゆく輝く。

 

「――消え失せろッ! ブラッド・レイ・インフィニティィィィッッッ!」

 

 クロスした両腕からドオオオオオッッッッッと放たれた光線がシンを飲み込み、赤黒く焼かれる森が奔流に消し飛ばされて割れ――やがて彼方での大爆発の衝撃が半死半生の木々にとどめを刺して下生えを虐殺し、矢萩の背後に控える部下たちを吹き飛ばしにかかる。三人衆がハンドルを握ってこらえる一方、あおりを受けて吹っ飛び、倒れてごろごろ転がるオートマトンたち――そして、立ちのぼったおぞましいキノコ雲が睥睨へいげいする一帯では、直径数百メートルに及ぶ巨大なクレーターの周囲でジェノサイドさながらに木々が折り重なっていた。

 

「……ちっ、仕留め損なったか」

 

 変動しないポイント額に舌打ちした矢萩は、ATVを降りて駆け寄る三人衆を振り返ってうねった髪を左手でかき上げ、右手の人差指と中指で挟んだ吸引器を口から離して、けがれた煙をふうっと吐いた。

 

「やりましたね。矢萩リーダーっ!」じゃれつき、目を輝かせる入谷。「これでまたイジンが一匹減りましたねっ!」

「いや、逃げやがっらみたいだ。ゴぎブリ並みのしぶとさだな、あのクソガキ」

「そうなんですか~? でも、矢萩リーダーのウルトラな強さを思い知ったんですから、ビビって二度と現れないですよ。――ね、マギくん、中ちゃん?」

「あ、ああ、そうだな……」

 

 MoBeeを肩の上に浮かべる中塚がすっかり変った地形に感嘆しながら首肯し、真木が「逆らうのは自殺行為……」とつぶやいて低く笑う。

 

「ふふん。ま、また出て来やがったらばっちり駆除してやるさ。ははは……さて、城に戻るかぁ」

 

 上機嫌に言い、吸引器片手に真木の肩がぽんと叩かれる。

 

「――今回のボーナスも回すから、いっぱい頼むぜ。ミスター・ケミスこリー」

 

 SOMA製造指示に、にやりと笑う真木。そのやり取りを間近で見ていた中塚は目元を曇らせ、矢萩の左の横顔をうかがいながら数秒逡巡して、揉み手しながらおずおずと意見した。

 

「……あ、あのリーダー、ちょ、ちょっと、一言だけよろしいですか?」

「あん?」

 

 歩きかけた矢萩は足を止めて見やり、けげんそうに左目を細めた。

 

「いえ、あの、SOMAはほどほどになさった方が……吸い過ぎはお体に障りますから……」

「ふん」

 

 一笑に付され、再びくわえられた吸引器の先端が上がる。

 

「――お前、この俺様を誰だと思ってるんら? ウルトラ矢萩様だぞ? SOMAにやられるほど柔じゃねーんだよ!」

「そ、それはそうでしょうが――」びびりながら、中塚は食い下がった。「吸い過ぎてもしそのお体――アストラルに悪影響が出たら、ウルトラパワーが損なわれるかもしれないじゃないですか……そんなことになったら……」

「心配いらないよ、中ちゃーん!」

 

 入谷が矢萩の左腕に抱き付き、遮る。

 

「――アタシが目を光らせるからさ~ ピカピカっとね! アハハッ!」

「そんなことより、撮影した動画の編集をしておへ。俺様の絶対的な強さと、逆らうとどうなるかが凡人どもにもよく分かるようにな! ふふ、はははは……」

 

 煙を吐き、入谷を同伴させる矢萩が自身のATVへ歩き、真木が薄笑いをたたえて続く。言葉を詰まらせていた中塚も結局引きずられ、死屍累々ししるいるいの火炎地獄といった感のゆがみをおぼつかない足取りで歩き出した。

Mov.54 魔王(2)

 暗雲へ稲妻状に伸びる黒ずんだ広葉樹群の間――赤黒い閃光が走って爆発音がとどろき、爆心地付近の木々を瞬時になぎ倒した凶猛な爆風が空間を激しく揺さぶって森を席巻する。鳥獣たちの絶叫がどす黒く濁った空に飛び散り、焼け焦げた樹木の臭いが辺りに立ち込めたときには、十数秒前まで表示されていた死刑執行寸前という絶望的な顔が二つ、コネクトのウインドウから消えていた。

 

『……飛高ひだかさん、竹本さんのアイコン、マップ上から消失……!』

 

 ウインドウ内にただ一つ残った、脂汗と額や頬の傷から流れる血で汚れた蒼白な顔――迷彩柄の襟と胸を映り込ませるベリーショートヘア少女・三嶋あんのかすれ声に、ねじれて傾いた幹の陰で九十九つくも式自動小銃を抱え、地面から張り出した根の間にうずくまる青年――ヤマト護魂戦線リーダー・森川マサルはずたずたの迷彩服姿を震わせ、ムカデのような葉を黒い戦闘靴とズボンの裾にまとわりつかせて揺らめく下生えに角顔から冷たい汗をぽた、ぽた、と滴らせた。リアルにいた頃、大学とバイトの合間にボクシングジムに通って鍛えた体が、すっかり萎えて縮んで見える。

 

「……く、くうッ……!」

 

 歯ぎしりして立ち上がったところで、迷彩の裂け目からえぐれた肉がのぞく左太ももの激痛でよろめき、ひび割れた樹皮に背中をぶつけてこする。矢萩の居城――〈ヤマト王城〉を夜襲して寝首をかく計画は親衛隊と三人衆、そしてウルトラパワーの前にあえなくついえ、光のちりにされるのを免れた同志と命からがら森に逃れ、各方面にげきを飛ばしたヤマト護魂戦線だったが、踏み入って来たヤマト軍に追い詰められるメンバーは皆手持ちのポーションはおろか、StoreZから購入するポイントさえ尽きてしまっていた。

 

「……くッ! な、なぜHALYはあんなクズにこれほどの力――」

 

 今し方の爆発より近く――数百メートル先で赤黒い光が炸裂して森が揺れ、陰からおじけた顔でうかがう森川の目に勢力圏を拡大させながら迫る黒煙と炎が映る。

 

『もっ、森川さんッ!』震え上がった三嶋が叫ぶ。『連中、森を破壊しながらこちらに進軍していますッ!』

「重要な狩場だろうとお構い無しか……! くそっ! 神聖ルルりんキングダムとコリア・トンジョクが足止めされていなければ……!」

『――ああッ!』

 

 映像内で三嶋が悲鳴を上げ、半狂乱で右往左往する。

 

『――ヤ、ヤマト軍――矢萩――ギャアアアアッッッ!』

「三嶋ッ!」

 

 200メートルほど先で噴き上がる爆炎――地面がひっくり返り、黒焦げた大小数多の木片や燃える小枝が間近の惨劇にすくみ上がった木々の枝葉、幹、下生えにバラバラバラッと叩きつけられる。とっさにかがみ、自動小銃にすがる両腕の間に頭を伏せた森川は、足元近くにいくつも飛んで来て下生えを打つ欠片に顔を上げ、両目で恐怖を爆ぜさせた。それらが三嶋の肉片に見えたのだ。

 

 こっ、このままでは――

 

 もはや誰も映っていないコネクトを閉じ、あたふたと立ち上がって左足を引きずりながら逃げ出したとき、森をむさぼってごうごうと燃え盛る炎と立ちのぼる煙の壁をぶち抜く赤黒い光線――今まで身を隠していた木の根元が直撃されて爆発、ずたずたの迷彩服姿を海老反りにさせて吹っ飛ばす。土や四散した木ごと地面に突っ込んだ森川がうめく後方でエンジンのうなりが、えぐられた地面を蹂躙するごつごつしたノビータイヤの音が大きくなる。

 

「――見ぃーつけた! 悪あがきはやめなよ、裏切り者さぁーん! アハハッ!」

 

 体を起こし、振り返った森川は後方――破壊でできた、幾筋もの煙を上げる窪地から続々と現れる四輪駆動の黒い猛獣、そしてモデル人形然としたのっぺらぼうのロボットたちに凍り付いた。じわじわ接近するマシンの上で、ハンドル片手に獲物を指差してはしゃぐ入谷玲莉――その両翼で同じくATVを徐行させる真木カズキと中塚崇史。ヤマト軍の黒軍服を着た彼女たち矢萩三人衆には九十九式自動小銃・改を携帯したオートマトン約40体が整然と隊列を組んで従い、さらにその後ろに入谷たちの運転するものより車体が一回り大きい、尊大な印象の2人乗りATV――オートマトンがハンドルを握る運転席の後ろ、一段高くなった後部座席で股を開いてサイドステップに足を投げ出し、肘掛にでんと肘を置き、残忍な快感で緩んだ口に吸引器をくわえる矢萩のふんぞり返った姿が見えた。肌の上にじかに着たワイシャツと黒軍服のジャケットのボタンを上から四つ外してはだけた胸では、赤黒い半球が高鳴っているかのようにぎらぎら輝いており、SOMAでどろっと溶けたまなざしにも同質のおぞましい炎があった。

 

「は、は、はっ!」

 

 矢萩は青ざめた森川が恐る恐る立ち上がり、じりじり後ずさるのを見てせせら笑い、酔っ払いのようにいささか回らない舌を動かし、声を張り上げて楽しげに恫喝した。

 

「――ふふ、年貢の納え時ってヤツだら、森川。ザコの分際でこの俺様に逆らひやがるとはなあ! へへ……」

「や、矢萩……!――」

「おおっとぉ!」

 

 サッと突き出された右手の先から矢尻型光線――ブラッド・アローが飛び、走り出そうとした森川の前方で爆発して足を止める。面倒そうに腰を上げた矢萩はサイドステップを蹴って跳び、運転席のオートマトンの頭上を軽々と飛び越えて三人衆の前に着地すると、黒革ブーツで地面を踏みつけ、森川が悲鳴に似た叫びとともにフルオートさせる九十九式自動小銃の弾をバリアではじきながら近付いた。

 

「テメエでラストだな、くっくっくっ……言っとくが、土下座して泣き叫びならら命乞いしてブーツにキスしまくったって無駄らぞ。リアルに病弱な母親と幼い弟妹がいるとかにゃんとかってなお涙ちょうだいを聞かせたとしてもな。俺様に逆らうヤツには『死』あるのみ。それがヤマトのルールだからら! ははははははははっ!――おい中塚、こいつのころもしっかり撮れよ。俺様に逆らうとどうなるか、見せしめにしてやるんら。くくく……」

「は、はい」

 

 中塚が動画撮影アプリ・MoBeeを操り、羽をはばたかせて飛行するハチ型カメラが今や互いの距離が10歩を切ろうとする両者――自動小銃を投げ捨ててイジゲンポケットから取り出した日本刀を正眼に構え、切っ先を震わせる森川と、くわえた吸引器をスキップでもしているように上下に揺らす矢萩を横から撮り始める。

 

「おい、森川ァ、首謀者のテメエは念入りになぶり殺ひてやるぜ。ありがたく思えよ~」

「だっ、だ、黙れ、ジャンキーッ!」

 

 震える切っ先を突き出して威嚇し、森川は舌鋒ぜっぽう鋭く返した。

 

「――貴様ッ、SOMAを蔓延まんえんさせた罪悪感はないのか? 言い逃れはできないぞ! 貴様が酒の席で新田さんや佐伯さんをこけにしながらながらべらべらしゃべっているのを聞いた者がいるんだからなッ! 貴様は自分が何をしたか分かっているのか? SOMAがなければ見張りがあそこまで怠られることはなく、ラー・ハブ事件の犠牲はもっと軽く済んだはず――死人だって出なかったかもしれないんだぞッ! なのに、恥知らずの貴様はあの悪趣味な城の地下に製造所を造り、重税とベース・ギャランティ制度を廃止して得たポイントをつぎ込んでッ! 貴様のようなゲスにはリーダーはおろかヤマトオノコを名乗る資格すら無い! 己の醜悪な姿を佐伯さんと比べてみるがいいッッ!」

 

 まくし立て、残弾尽きたように息切れする森川を矢萩は鼻で笑い、刀の間合いぎりぎりで立ち止まって甘ったるい煙をフウーッと吐き出した。

 

「弱い犬ほどよく吠えるってろは本当だなぁ。しかも、頭も悪いときた。いいか、この俺様は比類ないウルトラパはーを持つ最強の存在。それはイコールもっとも優れた者であり、取りも直さず至高のヤマティストってことら。その俺様がすることに間違いなんかにゃい。テメエら凡人どもはおとなしく従っていればいいんらよ」

「――ほざくなッ!」

 

 飛び出し、喉元を狙った突きがバリアにはじかれ、折れた刀身が回転して地面にザッと突き刺さる。後ずさった森川は出現させた一〇八式拳銃を代わりに握って近距離から連射したが、矢萩はガラス越しに水鉄砲を撃たれているような顔で弾切れを待っていた。

 

「……もう終わりか、森川?――ああんッ!」

「――ぐわあッ!」

 

 拳銃を突き出していた右手がガッとつかまれ、グリップとともに骨がバキバキ砕ける激痛に森川の顔が無残にゆがみ、必死に逃れようとのけぞる体が突っ張った。矢萩がパッと手を放すと、森川は潰れ、折れた骨が突き出た血まみれの右手を抱えて膝を折った。

 

「ああ、悪い悪い。なにしろ俺様はウルおラだから加減ができなくてな~ 勘弁してくれよッ!」

 

 うつむいてうめく顔がブーツのつま先で蹴り上げられ、砕けた顔が枝葉の間からどぶ色の雲を仰いで後頭部がドッと地面を打つ。歯が折れ、唾と混じった血があふれる口から漏れる苦悶――それは矢萩の右手から生じて投げつけられ、腹に突き刺さった六芒星形の暗赤色の光刃によってひと際高くなった。

 

「どうら、〈アスタブレイド〉の切れ味は?」もだえる足側から、にやにや見下ろす矢萩。「たっぷり味ああせてやるよ、俺様のウルトラパワーをなァッ!」

 

 タクトを振るように吸引器が揺れるたび、軽く振られる右手からフリスビー大のヘキサグラムの光刃が腕、胸、太ももに突き刺さって悲鳴をはじけさせ、血の染みをずたずたの迷彩柄に広げる。それをMoBeeが横、上、斜めとアングルを変えて撮影し続け……やがて、悲鳴がかすれて切れ切れになり、森川のまぶたが半分以上下りたところで矢萩は煙混じりのため息をついた。

 

「残念だが、飽きちらったよ。もう消へろ。消えてボーナスポイントになって俺様の役に立て」

「……クズめ……きっと佐伯さんの英霊が呪い殺して下さるだろう……」

「あはは、ふばけたこと言ってんな、よォッ!――」

 

 喉仏めがけて思いっきり投げつけられたアスタブレイドが首を半分断ち、鮮血を噴出させて痙攣する身を間も無く絶命させる。そして肉体――アストラルが光のちりになって消えると、森川が持っていたスズメの涙ほどのポイントにボーナスポイントを上乗せした額が矢萩に振り込まれた。

 

「ふん、何が佐伯だ……」

 

 森川が消えた跡をにらみ、ひとりごちる矢萩。嘲りにゆがんだその唇の端が引きつり、そして笑おうと曲がりかけたそのとき――

Mov.54 魔王(1)

 雲の濁流から針のような小雨が降って密生した下生えを打ち、まだらにある池塘ちとう水面みなもに波紋を描く。雨で煙り、陰気なにおいがじっとり立ち込める湿った草原……後藤アンジェラは赤いサイドポニーテールを左肩に流した黒外套の下で腕組みをして立ち、ゆらゆら不安定に揺らめく湿原――数時間前、北倉ロベルト率いるルル・ガーディアンズと衝突した戦場をブラックメタルフレームのメガネ越しに冷たく眺めていた。雨中にバリアで断絶されて浮かび上がるその姿は、凡俗を寄せつけない気高い美しさ――美し過ぎるがゆえにどこか冷酷にも感じられる――を彫り出された聖者の像のようだった。

 

「……駿河するが中尉ですか」

 

 濡れた草を踏む足音から判断して少し振り返ると、数歩斜め後ろでハタチそこそこの少年が営業社員を連想させる媚びた笑顔で敬礼する。駿河マコトは再び前を向く後藤の隣に外套の裾を揺らして近付き、人1人分の間を空けて立つと上官の視線の先にある薄暗い揺らめき、次いで硬い横顔を見て恐縮し、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「オートマトンがすべて破壊されてしまったとはいえ、雨の中、小隊長殿自ら見張りをなさるなんて……すぐに代わりを呼びますから、本部にお戻り下さい」

「今回の戦闘で皆手傷を負い、消耗しているのです」

 

 後藤は揺らめきの彼方を見ながら、そっけなく返した。

 

「――彼等には休んでもらわなければなりません。神聖ルルりんキングダムの部隊が、いつまた攻め寄せて来るか分からないのですから」

「おっしゃる通りではあります。連中、クーデターに失敗して森へ逃げ込んだ反逆者どもに呼応していますからね。それにしても……」

 

 ヘブンズ・アイズを起動させた駿河は外套の下で腕組みし、3Dマップの縮尺を小さくして湿地帯を半径数キロに渡りチェックした。ステルス・モードにしてヤマトメンバー間でのみ位置表示を許可している自分たちのアイコンだけがマップ上にあり、神聖ルルりんキングダム勢のアイコンは表示されていなかったが、敵は2キロほど離れた沼沢地付近まで後退していることが先刻の偵察で確かめられている。

 

「……今回はどうにか押し返すことができましたが、次は果たして持ちこたえられるかどうか……オートマトン抜きで言えば、こっちが10名に対して相手はおよそ50。いくらヤマトに劣るとはいえ、バーサーカー・アイを装着してがむしゃらに突撃して来るツインテールどもは侮れません」

 

 焦りといら立ちをにじませた駿河は変化の無い横顔をうかがい、やり切れなさそうなため息をついて首を左右に振り、憤ってまくし立てた。

 

「しかし、矢萩リーダーもひどいですね。これだけの手勢でどうにかしろなんて……西部方面で戦っている加賀美大尉の部隊も編成は同じですが、10人ちょっとのコリア・トンジョクを相手にするのと比べたら、こちらの方がどれだけ苦しいか……しかも、補給も満足に受けられないせいで敵と戦う以外にモンスター狩りもしなければならないんですよ。矢萩リーダーたちは徴税で得たポイントで毎晩酒池肉林しゅちにくりんをやっているらしいのに……これは明らかに我々――小隊長殿への嫌がらせですよ。まったく、矢萩リーダーは好き嫌いが激しくて――」

「駿河中尉」

「はい。何でしょうか、小隊長殿?」

「批判は慎みなさい。処罰の対象になりますよ」

「は、はい……自分は、小隊長殿になら分かってもらえるものと……不満は無いのですか、小隊長殿は?」

「あなたの発言は聞かなかったことにします」目もくれずに言う後藤。「キャンプに戻って休みなさい。ここは私1人で十分です」

「……分かりました。失礼します」

 

 しゅんとして頭を下げた駿河がきびすを返し、プレハブの宿舎の集まりへ戻って行く。その背中に後藤は冷ややかな一瞥をくれた。

 駿河は矢萩の息がかかったスパイ。

 後藤を見張り、処罰の口実を得ようとたくらむ回し者。

 情報マネジメント局のトップを務めていた後藤は、ハーモニー設立当初から密かにメンバー全員の人となりについて日々の言動や交友関係、不特定多数宛てにアップされたコネクトのメッセージなどから分析しており、佐伯に代わってコミュニティ・リーダーになった矢萩に駿河がいち早く尻尾を振ったこともつかんでいた。イングランド系イジンで、世界大学ランキングでSランクと評価される皇成大学の学生――そこから推測される裕福な家庭環境。そのすべてが矢萩のかんさわる後藤はサブ・リーダーと情報マネージャーを罷免ひめん、ヤマト軍ナンバー2から降格の上遠ざけられ、寡兵かへいで敵と戦わされるといったこくな仕打ちを繰り返されていた。

 

「……もうじきね」

 

 つぶやいた後藤は雨足を強める空間のゆがみに目を細め、うっすら赤く色づいた唇を結んだ。

Mov.53 夜明けの決意(2)

 うっすら開いた目にぼやけたうつつ・・・が映り、だんだんと薄明るい天井がはっきりするにつれて一重まぶたが上がる。微光に誘われて枕の上で頭を傾けると、ぼんやり白んだ掃き出し窓のカーテンが黎明れいめいを知らせていた。眠気の残滓を払ったエリーは掃き出し窓とは反対にそっと寝返って掛け布団をどかし、むっくり起き上がってオフホワイト地・クローバー柄パジャマ姿をあらわにすると、床敷きされた敷布団に膝立ちして隣のパイプベッドをのぞいた。そこでは、新田が寝息を立てて安らかに眠っている。微笑してカーテンの方を振り返り、起こさないようにそちらにいざって立ち上がり、足音を忍ばせて近付くと隙間から外をうかがう……群青の空の下では濃紺の砂漠がまばらに立つ巨岩とひそやかに揺らめき、焚き火の明かりがぼうっとかすんでいた。

 

「……斯波さん?」

 

 炎のそば、イスの背にもたれた後ろ姿……エリーは新田を一瞥して引き戸に忍び寄り、そろそろ開け閉めして部屋を抜け出すと白のルームウェアにパッと着替え、素足にサンダルを履いて玄関からプレハブハウスを出た。冷えた砂を踏んで焚き火台に歩み寄ると、肌寒い揺らめきがほんのり暖かみを帯びる。イスの横に回って浅黒い顔をのぞき込むと、寄りかかってうたた寝しているのが分かった。

 

「……ん……」

「あっ」

 

 驚いてつい声を出し、慌てて口を手で押さえたエリーの方に寝ぼけまなこが滑り、二、三度瞬いてようやく焦点を合わせる。

 

「ご、ごめんなさい、斯波さん。起こしちゃって……」

「いや……んん……」

 

 伸び、あくびをしたユキトは左手で目をこすり、イスから背中を離して居住まいを正すと申し訳なさそうな顔に微笑んだ。

 

「おはよう、エリー」

「おはようございます……斯波さん、あのままずっと……?」

「ああ、まあね……」

 

 昨夜、新田を連れてプレハブハウスに戻るエリーにもう少し起きていると言い、そのままユキトは焚き火台の前で一晩明かしたのだった。

 

「……ずっと考えていたんだ。色々……」

 

 炎から影絵のような砂漠の彼方、東の地平ににじむ薄い光の筋を見やって、ユキトはしみじみと続けた。

 

「……結局、こんな世界にしたのは僕たち……特定の個人や集団だけが悪いんじゃない。一人ひとりの責任なんだ……」

「……そうですね」首肯するエリー。「わたしたちがもっとちゃんとしていたら、今みたいにはなっていなかったでしょうね……」

「……どうしたらゆがんだ世界をまともにできるのか……篠沢を救えるのか……一晩かけてもうまい方法は思い付かなかった……だけど、一つだけはっきりしたよ」

 

 おもむろに立ち上がったユキトは背筋を伸ばして両手を握り固め、見上げるエリーに真摯な顔を向けた。

 

「……悩んでいてもどうにもならない。とにかく行動するしかないんだ。そうすることでしか事態は変わらない……」

「そうですよね……わたしもお手伝いします。こんな世界、悲し過ぎますから……」

「ありがとう、エリー」

 

 地平で曙光しょこうがはばたき、揺らめき続ける世界をほのかに照らし出す。再び彼方を見つめたユキトはエリーとともに、淡い陽へ真っ直ぐなまなざしを重ねた。

Mov.53 夜明けの決意(1)

 カラーフロアの床から離れた足にパッとスニーカーを履いて土間に下り、ドアを開けて外に出たユキトは閉まらないように押さえながら脇にどいた。数秒後、その前を両手でトレイをしっかり持つエリーが通り、日没間も無い蒼い砂漠にドームを描くだいだい色の明かりへ夕食を運ぶ。並んだ2軒のプレハブハウスに見守られる光源では、エネルギーゲージが表示された焚き火台がささやかな炎でテーブル付きアウトドア用イスにもたれて座るポロシャツ、チノパン姿の新田をぼんやり照らし、近付くエリーの褐色の肌、着ているカーディガンやガウチョパンツを落ち着いた色合いに染めていた。

 

「お夕食ですよ、新田さん」

 

 前に立ってエリーは柔らかに言い、トレイをテーブルにそっと置いた。

 

「――今日は斯波さんが手伝ってくれたから、いつもよりおいしくできたと思います」

 

 新田の左横に立ったユキトがはにかみ、グレーの袖の先でごつごつ膨れた黒い手がこそばゆそうに動く。エリーは近くにあった自分のイスを運んで新田の右横、少し斜めに置くと腰をかけ、暖かな光を宿した瞳をのぞいた。

 

「おかずは焼き鮭にほうれんそうと大根のサラダ、おみそ汁の具はお豆腐とワカメ、飲み物はホットのお茶です。夜の砂漠は、ちょっとひんやりしますから。ご飯はお代わりもありますよ。じゃ、食べましょうか。まずは喉を潤すためにお茶から行きますね」

 

 取っ手を持って、カップを口元に運ぶ……それを研修生のような面持ちでじっと見つめるユキト。傾けられたカップからお茶が半開きの唇に流れ込んで喉を鳴らし、続いて箸でほぐされ、小骨を取り除かれた鮭を一切れ乗せたご飯が一口、声かけの後に唇に触れ、開いた口の中に入って咀嚼される。

 

「……上手だね、エリー」

「そんな……」

 

 ご飯茶碗と箸を持つエリーは恥じらい、素朴な目を伏せて瞬いた。

 

「……まだおばあちゃんが家にいた頃、お母さんがやっているのを見て自然に覚えたんです」

「お母さん、介護の仕事をしているんだってね。よかったら僕にも教えてくれないかな?」

「えっ、斯波さんに?」

「僕にも世話させて欲しいんだ。そうすれば、エリーも少し楽になるだろ?」

「……分かりました。じゃ……」

 

 茶碗と箸をトレイに置いてエリーは立ち、代わりに座らせた。

 

「それじゃ、サラダをお願いします。まずはご飯が口の中に残っていないか、ちゃんと飲み込んだかどうか確かめて、それから次に何を食べるのか説明するんです。食べることをしっかり意識してもらうためにも声かけは大事なんですよ。そうしたら一口としてちょうどいい量を口に運んで下さい。このときも忘れず声をかけて下さいね」

「う、うん」

 

 そばからのてきぱきとした指示――イスに残るぬくもりをスウェットパンツ越しに感じながらユキトはサラダが入った小鉢を左手で持ち、黒く腫れた指で箸を使ってほうれん草をつまむと新田の口にそろそろと近付けた。

 

「新田さん、サラダです……ほうれん草ですよ」

 

 唇が開き、緊張した介助を受け入れる。ほっとして肩の力を抜くユキトと微笑むエリー。

 

「……ちゃんと生きているんだよな、新田さん……」

 

 あごを動かす新田を見ながら言うと、横でエリーがうなずく。

 

「そうですよ。新田さんのアストラル――魂はこうしてちゃんと生きている……だから、奥さんと赤ちゃんが待っているリアルに帰ってもらいたいんです」

「……それは僕も同じ気持ちさ。だけど……」

 

 黙り込むとエリーはまどろみから覚めたようにまぶたを上げ、力無くまつ毛を上下させながら内向きのスニーカーの先に目を落とした。沈黙が炎色の揺らめきから深まる宵闇に広がり、かさついた二つの唇が閉じたまま癒着していく……他者と断絶していたがゆえにユキトから初めて紗季の真実を聞かされたエリーは星一つ見えない夜空の下で途方に暮れ、視線を砂上でもがかせた。

 

「……救助、来てくれないですかね? ワールド・ポリスがこのゾーンを発見して……」

「ワンによると、僕たちは事件もろとも葬り去られようとしているらしい……実際、リアルTVをチェックしても事件のことは報道されなくなっているし……」

「それじゃ、HALYにリクエストを送って……ダメですよね……」

「……HALYは人間を研究するために僕たちをさらったんだ。大事な研究対象を簡単に手放しはしないよ……」

「そう、ですよね……」

 

 再び、沈黙。

 エリーの両手指が鎖のように絡み、グレーの太ももの上に箸と小鉢を持つ手を下ろしたユキトが歯をかみ締めると、それぞれのコネクトが無遠慮に着信を知らせ、開かれたウインドウに新着メッセージが表示される。

 

「……また勧誘か……〈ヤマト護魂ごこん戦線〉?……」

「矢萩リーダーを倒すために協力して欲しいって……ヤマトから分離した人たちみたいですね」

「あちこちからのメッセージでも言われてるけど、あいつ、重税を課して巨大な城を建てたり贅沢三昧したりやりたい放題らしいからな。今や公然と出回っているSOMAは、あいつが製造させているって話だし……これまでに何人もヤマトから逃げ出したみたいだけど、ついに反乱が起きたのか……」

「……どんどん、ばらばらになりますね……」

 

 焚き火台で薪が爆ぜて炎が身震いし、陰影が不安げに揺れる。混迷の度を深める現実に、ユキトとエリーはうつろな新田の前でそれぞれの足元を這う空間の流れに目を凝らした。

 

「……どうすれば……いいんだ……?」

 

 足にまとわりつく影をにらんでつぶやき、ユキトは下唇をかんで前歯を食い込ませた。

Mov.52 邂逅

 ざらついた流動に突き飛ばされてよろけ、ユキトはガクンと折れた両膝を小石混じりの砂に突っ込んだ。へたり込み、背中を曲げてうなだれた体が、薄ら寒い揺らめきにたゆたう……黒の十字架が引き起こした〈黒の大流動〉に押し流されて1カ月……着たきりのスウェットパーカーとパンツはほこりで汚れ、風と流動に荒らされた髪はぼさぼさ、幾分やつれて脂汗でべたついた顔は右腕から全身を侵す呪いが進行したせいで浅黒く変わっていた。

 

「……くぅ……」

 

 うめきが漏れて体が傾き、砂上にドサッと横倒しになる。右の頬に食い込む小石の痛み……ぼんやり感じるユキトの双眸では、墓石のような巨石がぽつんぽつんと点在する見渡す限りの砂漠が、暗澹あんたんとした厚い雲の層を背景にかすんで揺らめいていた。

 

 ……死にたくない……――

 

 声にならない声でつぶやき、グレーの袖口から出た真っ黒い右手――左手と比べて一回りでこぼこに固く膨れ、爪がどす黒さを増した呪いの源に微熱がこもる目を動かし、視線を死にかけた虫のように這わせる……世界がのしかかっているように重い体、鈍く響いて頭をひび割れさせていく痛み……日一日と濃くなる死の影……

 

(……死にたくない……だけど……どうして、あいつらは……!)

 

 黒い嵐に響き渡った、ワンの語る真実――それをガーディアンズが耳にした神聖ルルりんキングダム……流れる木の陰に潜んで聞いていたクォンが頭のコリア・トンジョク……神聖ルルりんキングダムにいるスパイから情報を得た〈ヤマト〉――新リーダーの矢萩に改称されたハーモニー――は、この1カ月あちこちで衝突を繰り返しており、梶を失った船のように漂流するステルス・モードのユキトのところには、協力を求めるコネクトがヤマト以外からたびたび入っていた。

 

(……あれ以来赤い星も見えなくなってしまったけど、ワンはどこかに引きこもっているだけだって……だから、連中は行方不明の篠沢を見つけ出そうと……見つけ出して、あいつを……)

 

 紗季がALだという事実が、彼等の『ハードル』をいくらか下げているのは間違いなかった。ごろりと仰向けになったユキトは浅黒い左手を額に乗せ、皮膚から柔らかさが失われつつある甲を感じながら鈍色にびいろ天蓋てんがいを見つめた。

 

(……どうして、こんな……)

 

 苦悩、恐れ、恨み、嘆き……絡まった思考の鎖はもがくほどがんじがらめにし、頭痛がどんどんひどくなって意識が砕けていく。このまま砂に埋もれて朽ちてしまおうかとも思いながら、しかしユキトは生への執着を断つことができずにか細い呼吸を続けた。と――

 

(……――)

 

 頭側……少し離れたところで、そっと砂を踏む音が聞こえた気がした。モンスター――だが、それなら通常ヘブンズ・アイズが発報するはず――空耳だろうと思いながらユキトは左手をずるずる引きずってどけ、のっそり起き上がって体をそちらに向けた。

 

(……?)

 

 10メートルほど離れたところに、揺らめく小柄な人影があった。それはあまりにもはかなげだったので、ユキトは病んだ微熱が見せる幻かと目を疑い、瞬きした。距離からすると、背丈は自分よりも頭一つくらい低い150センチ弱。グレーのパーカーのフードを深くかぶっていて顔はよく見えなかったが、ところどころ裂けたベージュのガウチョパンツとそこから出た褐色の足、薄汚れたスニーカーには見覚えがあった。

 

「……エリー……ちゃん?」

 

 よろけつつ立ち上がって向き直ると、右のスニーカーがビクッと半歩下がり、ためらいがちにまた元の位置に戻って、脇に垂らす空の右手が何かをつかもうとするようにぎこちなく指を曲げる。

 

「……エリーちゃん、なのか……?」

 

 どこか臆したような声を重ねたユキトはヘブンズ・アイズを開いてみたが、マップ上にキャラクター・アイコンは表示されていなかった。お互いにステルス・モードの2人が出会ったのは、流動の影響による偶然に違いなかった。

 

「……どうしていたんだ? 今まで……」

 

 少しおびえた目付きで辺りをうかがい、ユキトは言葉を継いだ。

 

「……新田さんも近くにいるのか?」

「……って下さい」

「え?」

 

 右手にダガーガンがパッと出現するや銃口が走り、グリップが両手でがっちり握られ、撃鉄がガチッと起こされる。固まるユキトに、上げた両肩をこわばらせて狙いを定めるエリーはあえぐように言った。

 

「……責任を取って下さいって言ってるんです。新田さんをあんなふうにした……!」

「なっ……」

「……あなたの……あなたのせいで新田さんは……他人を殺すとボーナスポイントがもらえるんですよね?……わたしは、強くなるためにポイントがいっぱい必要なんです。強くなって、黒の十字架を手に入れて、新田さんをリアルに帰すんです……!」

「エ、エリーちゃ――」

「動かないで下さいッ!」

 

 銃声が空間を割るようにとどろき、制止しようと右手を上げかけたユキトの頭の横を弾丸が飛ぶ。

 

「……このダガーガンは、わたしが稼いだポイントで強化されています。簡単に跳ね返せるなんて思わないで下さい……!」

「……何で、そこまで……」

「これは、わたしがやらなきゃいけないことなんです……! あのとき、崖を下りられなかったわたしが……!」

 

 フードの陰で光る冬の星のような目に射抜かれ、ユキトの両足は急速に麻痺していった。流動によろめく少年の思考を呪いの熱が溶かし、めまいが黒ずんだ視界をねじれさせる。

 

「……分かったよ……」

 

 右手をだらんと下げたユキトは眉根を緩め、バリアを消して生身をさらした。

 

「……好きにしていいよ。それで少しでも償えるのなら……」

 

 消え入りそうな声が、空間の揺らめきに散った。結局、自分はもがき苦しみながら漂流し続け、やがて……それならば、せめてこの場で彼女の望み通りになろう……諦めと、すべてから解放されるという思いが全身から力を失わせていた。そんな標的をとらえた小さな瞳が上下に押し潰され、息切れしたような呼吸が次第次第にうなり声に変わって――

 

「――うわあああッッ!」

 

 撃鉄が雷管を叩き、撃ち出された弾が汚濁した空へ斜めに飛んで消え……エリーはダガーガンを握ったまま崩れて砂地に膝を突き、深くうなだれて肩を震わせた。

 

「……こ、こんな……こんなこと……うう……ううっ……」

「……エリー……」

 

 ユキトは、ようやく気付いた。

 彼女は止めてもらいたかった――苦しみあえぐ自分を救って欲しかったのだと。

 

(……なのに、僕は……そんなだから……)

 

 脳裏に黒い大流動と消えた紗季の影がよぎる。紗季のことだけではない。自分がもっとしっかりしていたら、現状はもう少し違っていたのかもしれない……額に両手の平をこすりつけ、そのまま髪を後ろに撫で付けたユキトはむせび泣くエリーに近付いてひざまずき、細い腕に左手をそっと、意を決した動きで触れさせた。

 

「ごめんな、エリー……僕は自分のせいであんなふうになった新田さんを見ていられなくて、君のことも避けていた……僕がだらしないばっかりに、独りでつらい思いをさせてしまって……本当にごめん……」

「……わ、わたしこそ、ひどいことばかり……ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 

 嗚咽が号泣に変わり、大粒の涙がガウチョパンツと砂の上にぼたぼた落ちて染みを作る。吐き出すように泣き続けるエリーとつながりながら、ユキトはかみ締めた歯の裏で深い苦みを感じていた。